思ひ出

98年3月。小学校を卒業するとき、時間感覚からいうと人生の8割を消化したに等しい。小学校の6年間というのはそれだけ長く感じた。あくる日もあくる日も一時限から授業を受け、二時限終わりに長休みがあり、給食をもがくように食べ、昼休みを終えて午後の授業を終えるという日課は永延とも思える時空の中で過ごしたことを覚えている。ただ、その記憶も今となっては思い出すのに時間が掛かるようになっている。10年前なら3秒で思い出せることも今となっては数分は掛かる。部分的には既に忘却の彼方へ行っている。あれだけの途方もない時間をいともあっさり忘れる。こうして虚ろな記憶も所在不明の輝かしい記憶もあっさり死ぬんだろう。
98年4月。中学に入学した。人生の中でも最も刺激を受ける時期であろう。
長袖長ズボン。それまでの半ズボン生活が長ズボン生活になるというのは一種の革命だった。何よりも3年生が、恐ろしい。得体の知れない暴挙のマンモスとでもいおうか。小6で下級生ばかりの建物にいたときと環境は様変わりだ。箱に閉じ込められて串刺しを受けるような興が体中を支配するような時期であった。
歓迎会や仮入部。老人ともいえる体育教師が最初の授業で「3年なんてあっという間だ」などと嘆いていたが、果たして本当にそうだろうか?と思った。事実、3年はあっという間に過ぎていったわけでもなかった。
卓球部でしごかれて、毎日が苦痛で、同級生との確執。受験勉強ストレス。散々、日記にも書いてきたが、3年になったときには嫌な思い出しかない。卒業式を逃げるように帰った。高校を受験して合格した。中三と高一の間の休みこそ苦痛であった。義務教育を終えても何もなかった。
01年4月。入学式前に剣道着や教科書を恐ろしく買わされたことを覚えている。こんなものを使うのか。「彼女」。そんな言葉は使える日は来ないだろう。「親友」。これもない。「通り魔」。いやいやこれは違う。「苦痛」。これだ。
長期間、苦痛に顔を歪める経験は初めてだった。高校に入ると恋愛至上主義者が現れ始めた。何も言うことはなかった。
三年間は実に阿鼻地獄のうちに終わった。
人の顔も見れない性格。どうすればよかったのか。遅いか。何か振り返っても疲れるんだよな。