白々

どうにかなるだろうと一日一日を過ごしていって、最後はしぼんだ風船のように無気力になる有様。これだけは避けたかったのでとりあえず日記を書いてみた。するとわけが分からない文章になっただけだった。やはりしぼんでいる過程にある。


漫画喫茶でがやがやと訝しげなサラリーマンが携帯電話を片手に喋る。室内に配慮はないが電話の向こうには十分な配慮を身構えている。聞こえてくるのは敬語、敬語、敬語、ちんこ、いや失礼(卑猥な用語をそこまで使いたかったわけではない。ただ固い文章を濁したかったから愚かしい三字を入力しただけだ。そもそも自分はよく下ネタで文を濁す。人間関係もいくつか下ネタによって破綻したことがあるかもしれない。自分にとって卑猥な用語というのは「照れ」を隠すのに最適ではあるが、これではもはや諸刃の剣である。それはさておき自分にとって日記というのはチャカさなければならないものである。いや、これまでの日記はチャカしているといえるのか?常人がちゃらけた「フリ」をして日記を書いてるわけでなく、ただ単にかしこまった文章が書けないずぼらな人間が書いた愚だった文なだけではないか。ともかく自分には能力をごまかす才能すらないようだ。ああ、話が長くなった)。サラリーには独自の声質があるようで、その声質は芸人のそれとも違うし、学校の教師のそれとも違う。独特だが共通の性質。彼らの仲間入りを果たすことは簡単なようで難しいだろう。少年時代に大人の不祥事のニュースを頻繁に見て世間に幻滅した世代であるからこそそう思う。
若者になるのは容易いことだが大人になるには努力が必要である。
ため息が出る。話の材料がなさ過ぎる。マド(マクドナルドの略。無理がある)のチキンナゲットが100円。このニュースくらいしか自分の今に役立つニュースがない。バーベキューとマスタードの二者択一。自分の二者択一の歴史を紐解いていこう。高校時代に理系コースと文系コースを選ぶことがあった。高1の終わりごろである。なんのことはない。理系なら物理か生物を選んでさらに数学が増える。文系なら社会科科目が増えてあと国語が増えるのかなんだかだったと思うが、俺は何を思ったか記憶にないが理系コースにしてしまった。理系は物理か生物を選ぶのだがそこで生物を選んだ。実に高2の生物の時間は俺以外の十数人は全て女子であった。助詞ではない、みずみずしい女子である。
高2のみずみずしいメスどもが股を広げて、、などといけない妄想が始まってしまう年頃ではあったが、妄想を他人に公表するなどというプロアクティブな展開など皆無な性格であった。自分は隅っこで子羊のごとく、恐ろしく縮みながら生物の時間をすごした。ジャニーズの誰それが格好いいというぎゃーぎゃーとした肉牛のような女子の会話を耳に入れながら一年間過ごした。情けなかった。
化学には方程式、幾何、そんなことは耳を突き抜けてどこかに消える。成績ががた落ちで理系か文系かどころではなかった。ノートは紙くずだった。卒業後、浪人と現役の択一を経て、さらに就職と編入の択一を経て、いろいろあった。わけもなく悲しくなるのは自分の択一にはそれ相応の確信というものがないのである。自分がジジイになったときも後悔しない択一をすることは多分これからもあまりないであろう。話は収まった。もう書くことはない。風がビュンビュンと吹いているではないか。