走馬燈その3

高校時代、過敏性腸炎(ガス型)は俺をとことん虐めた。体育や音楽の騒がしい授業以外はほとんど悶絶に近い状態で授業に臨んでいた。水分をコップ一杯以上取れば消化器系統の状態が不安定になるので昼食は一滴の水も飲まない。一日七時限ある日やテストがある日は前夜から相当意気込まなければ気がもたない。テスト中もいつも腹のことに気を掛けていなければならない。古典、現代文、数学、地理、化学、生物、英語、全部赤点を取っている。留年の危機はなんとか課題をこなすなどしてクリア。クラスでのポジションは三年間、目立たない、いかにも暗い奴というポジショニング。勉強できない、運動できない、暗い性格、過敏性腸炎、この三年間は拷問物だった。
考えても見てほしい。腹が常時ガスが溜まっており、「プーーーー!!」とか「ギュイイイイン!!」という恥ずかしい音が常時鳴る可能性を秘めた腹なのだ。自習の時間が最高にきつい。恥ずかしい思いもいっぱいした。首つって死にたいとも思った。でも爆音を出しても誰もからかってきたり、蔑視してきたりはしなかった。そういう環境はありがたかったがこの症状を打ち明けられる友達などいない。孤独だった。絶対周囲の人間は気づいていただろうけど。
そんな状態で授業を受けていたら目が死んだ目になってきた。鏡をみたらヤバイ目をした男。腹のことを考えすぎると現実逃避するため、目を半開きにするのでその行為が影響して目がやつれてきたのだと思う。
三年になるとほとんど自習という授業形態になる。これがきつかった。自習をほどよくサボって便所で空腹の腹の音対策のため、カロリーメイトを食って、便所でガス対策のために用も足していた。頻繁に便所へ行くものだから人目の少ない遠くの便所へ通っていた。人目を気にして便所と教室の往復に何度も何度も嫌気がさし、わざわざ昼休みに自宅へ戻って用を足したりした。あるとき、休み時間に家に戻ろうと学校の外にいたら、担任に見つかったがなぜか黙認された。哀れというかあのときが一番虚しかった気がする。とにかく卒業がしたかった。進路のことはどうでもよかった。あの周囲との距離が近すぎる教室という空間から一刻も早く逃げ出したかった。