日常日常日常、

今日は軽トラで合計160km運転して物を運んだり点検したが、仕事をした気にはなれなかった。軽トラに乗っている間、目を引ん剥いたり、苦悶の表情を敢えて作ってみたり、にやにや笑ってみたり、わけの分からない所作をしながら運転していた。こんなシーンを見られたら阿呆かと思われると思う。
仕事をした気にどうしてもならない。いっそのこと毎日現金を支給してくれりゃいいのだが、それもなく、単に給料明細を月に一回貰うだけ。そもそも毎日現金支給されたところで、紙切れ、コインに何の情熱を感じればよいのか。わからんよ。
嗚呼、それにしても世の中の人間の会話、なぜ冗談を当たり前のようにいえるのだ。私が小学生の頃、こんなに冗談を言う大人が世の中に溢れているとは思わなかった。大人という生き物はもっと殺伐とした生き物だと思った。私が中学二年のとき、このままではいけないと思った。大人は冗談を言う。だったら自分も冗談を言わなければ、と躍起になってそれから下品になった気がする。
私は飲み会で少しも楽しいと感じたことがない。そこは下品になることがステータスとなる場で、自分も下品にならなければと努めるあまり、ゲロを吐きそうなほどの自己嫌悪に陥る羽目になるからだ。
下品はもういやだ、落ち着きたいという欲求を持てば社会から離脱し、引きこもりになる。だから持てない。行き着く先は下品で阿呆な仕事人。
もう知りません。なまけた欲望に従うだけです。