高山旅行(前編)

(一)

 「桃太郎」で犬、猿、雉は吉備団子と云う褒美があったからこそ鬼退治などという過酷な労働をしたわけで、褒美がないと基本的に動物は何もしないものである。仮に団子は後でやるからとりあえず鬼退治をしてくれ、とかなんとか動物に圧力を掛けて説得し、鬼退治を終えてから、実は団子は腰につけっぱなしで腐らせてしまったんだデヘヘなどと桃太郎が半笑いで述べれば、たちまち雉は上気し、嘴で桃太郎の童貞の金玉を突き、去勢させ、川沿いに吐瀉物塗れで死に体と化してゲロ太郎として放置されるであろう。
 そんな風に休日を何もせずに過ごす宝の持ち腐れのようなことを続けて、愉悦に浸らぬ労働者と化しているとそのうち上気して誰かの金玉を突くことになりかねないのである。故に私は金玉を突く金玉恐怖からの脱却の為に旅に出ることにした。

(二)

 私は二連休を利用し、岐阜県の飛騨高山へ出向くことにした。手段は高速バスである。チケットは鉄道会社のホームページを通じて申し込んだ。チケットの発券は会社近くのコンビニエンスストア、夕方に行っても深夜風のイカつい店員のいる店で無事に行使し、ホテルの予約も「じゃらん」で無事にこなし、後は出発を待つだけとなった。

(三)

 十六日午前、地元駅近くの立体駐車場に車を停めて七階から一階まで階段を使って降りる。なぜならばエレベーターを使用すると待ち時間が長いし、九階や八階から降りてきたエレベーターに乗るために申し訳無さそうに乗り込むことに微弱とはいえ、気力を使うことが疎ましいからである。そんなことをするくらいなら肉体降下を選ぶのが私の性である。
 駅構内に進むとやはりというか当然と云うか様々な人がいる。老若男女、太った者、痩せた者、スカートの長い者、スカートの短い者、堂々と歩く者、申し訳無さそうに歩く者、など様々である。
 さて出発時刻は十二時半である。時間はこの時点でまだ正午で出発前に時間があるためどこかで飯を喰らおうという心意気になったものである。とはいえ時間も限られているので極めて簡易的な料理しか食えぬと私は思い、徐にラーメン店に出向こうとする。しかしその前日にラーメンを食べていたことを思い出し、ラーメン大好き小池のようにそれほどラーメンが好きでもないので、大手牛丼チェーン店の方へ踵を向き直す。そうして牛丼店の前で店内を観察すると、おっさん達が雁首並べて丼を掻き込んでいる具合である。私はそれを見てその一部になることに無性に鬱陶しさを覚え、やはり先ほどのラーメン店にしよう、と思いつつ三十秒くらいしてラーメンは昨日食っただろおっさんから離れた席に座りゃいいだろ、と思い直し、やはり牛丼店に踵を返す。
 即席的な接客、即席的な片付け、即席的な店、それが牛丼チェーン店である。私は肉食的な気分が沸き起こらなかったため、チーズカレーを要求し、福神漬けと共に現れたそれを貪り食い、会計を要求する為に立ち上がり、ものの七分ほどで店内を後にした。

(四)

 そうして駅ロータリーのバス停で待っていると、バスがやってきた。乗り込む前に運転手にチケットを渡し、座席場所を指示され、バスに乗り込む。出発してしばらくして高速道路に入り、白川郷という所に一旦、停まる。白川郷で降りる者、乗る者がいるようで、中華人民共和国の国民が数人乗ってくる具合であった。彼らは何か狂騒的な感じで言葉を交わしているが、何を云っているのだかさっぱり分からない。バスは白川郷から一時間ほどで高山へ到着する。

(五)

 三年三ヶ月ぶりに高山駅にやってきたのであったが、全く変わり映えしなかった。駅内のベンチの佇まいといい、駅前の信号のない横断歩道といい変化がない。
 さて、そもそも私は何をしにここにやってきたのか。金玉恐怖もあるが、他には心を勃たせる何かに出会うためである。心が勃つためには歩いて何かを見て聴いて、あらゆる場所で勃つ可能性を求めるしかないのである。部屋に閉じこもっていては決して勃つことはできない、部屋で勃つような勃起はエセ勃起だ。勃つために動く、それだけ。

(六)

 そうして雨の中、傘を差しながらとぼとぼと駅前から歩いていると観光目的と思われる若い女性の集団も三年前同様、少なからずおり、後ろを歩いていると女の芳香が漂い、私はそれに微弱に欲情する塩梅となった。そのうちカップルが多いことにも気づく。ごつごつしたダサいスニーカーで冴えない感じの男が美女と歩いている様を見ると、私は激昂し、ロックを歌いたくなった。しかしそれでは狂人なので、諦めて再度何もなかったかのように歩き始めた。
 やれやれととぼとぼと歩くと本町美術館というものが現れた。山下清の芸術品などを展示しているようである。どうしたものか、と思った。
 入場料金が六百円なのである。私の私による山下清のイメージは「タンクトップ」と「坊主」というイメージしかなく、別に清に対して感慨もないのである。それで六百円を払うのもどうかと思った。
 私は平日粉塵塗れでゼーハー云いながら微弱ながら富を築いているのである。やはり富を削る場合はそれ相応の覚悟がいるものである。今回は山下清という有名人の芸術品を鑑賞することが出来るとはいえ、入り口前に居る時点では心が勃つものがない。これではせいぜい百八十円から四百円の富しか消費できぬ。そうして私はこの六百円の美術館をスルーすることにした。すまぬ清。

(七)

 そうして私は腹が減った。昼間にカレーを食べたのだがよく噛まなかったせいか夕方の時点で空腹で意識が朦朧としてきた。どこで食べようかと悩みながら歩いていると、橋の前に出店を発見し、飛騨牛まん(380円)が目に留まる。私はこれだ、と思い、「ひだぎゅうまんくらさい」と腹減ってしょうがないような声を店員のにいちゃんに掛けた。二分後に出された牛まんはホカホカどころかアチアチといった舌がデタラメになりそうなほどの熱さである。それでも私はハフハフするのはロックじゃないと思い、橋の手すりにもたれながら、すき家の牛丼大盛りと同値段だなあ、と野暮なこと思いながら牛まんをアチアチと貪り喰らった。すき焼きの肉だけが詰まったような感じで旨かった。鳥山明という漫画家の「DRAGON BALL」という作品でヤジロベーという名古屋弁の使い手が死期に直面して「こんなことで死ぬんだったらもっと肉まん食っときゃよかった」と述べるが、私は今回の件でこれから死期に直面した際、「こんなことで死ぬんだったらもっと牛まん食っときゃよかった」と述べることになるであろう。

(八)

 さて、牛まんを食べたは食べたが、食欲に火を注いだ結果となり、もっと食欲を充たしたいというエゴイズムが発生せざるを得ない。私は高山ラーメンを食べたくなった。どれくらい食べたくなったかと云うと激昂するほど食べたくなった。私はラーメンが食べたい、食べなきゃどうかする。しかし、昼間にあれだけラーメンを拒否していたのは何だったのだろうか。
 さて、ふらふら歩いていると鍛冶橋と云う橋の付近に体育会系っぽいラーメン店が佇んでいた。夕方四時くらいでひっそりとしている雰囲気であるが、行くしかあるまい。ドッ、と入る。いらっしゃいませ!サーファーみたいなあんちゃんが接客してくれた。「ラーメンありますよ、牛丼もありますよ!」とサービス精神旺盛でメニューを紹介してくれる。店内も体育会系全快だ。普段の精神軟弱な私なら、うへえこんなサーファーな雰囲気たまらねえ、と食欲も減退し、食事と云うよりかは固形物を胃の中に移す工業的な作業になってしまうのだが、このときはあまりにも腹が減っていたのでそうはならなかった。
 私は飛騨ネギラーメンを選択した。数分後、提供された。量が少ない気がした。中学生文科系女子くらいしか満足できない量ではないか、と思った。味は旨かった。

(九)

 ラーメンも食った。もうやることはない。コンビニ行って何か買ってホテルでぐったりしようと思い、駅に向かい、歩く。だらだら歩いていると「古い町並」というところではあちこちでデジカメ両手にグループが写真撮影をしている。私は他人の記念の中に入り込みたくないので、進行方向で写真を撮っている連中がいると歩を止め、逃げ出したくなる癖があるのである。そして丁度そのとき隣には民具を売っている店があったので飛び込んだ。
 民具店には浴衣や、甚平、下駄が飾られ、その他江戸時代の人々が使っていたような小物が売られている。私はこういった古風な民具を否定するわけではないが、淘汰されたためにこれらは半ば消えたと思っている。下駄はビーサンに持ってかれ、甚平はスウェットに持ってかれ、浴衣はTシャツにシェアを持ってかれたのである。
 古い民具と云うのは意外性という性質が強い。私は中学の修学旅行では奈良に行ったのであるが、その時、おっとりした警察官の息子のYという同級生男子があろうことか修学旅行初日に土産屋で木刀を購入したのである。そうするとヤンキーっぽい奴に「なに木刀なんか買ってんの!」と詰られ、担任には「木刀買ったのか?変なことに使うなよ」などその他同級生も木刀買ったのか木刀かボクトーか、と押すな押すなの大盛況だがどことなく変な空気。初日に荷物になる木刀を買うとはよほどの木刀好きだったのだろうが、私は「(バカ野郎てめえ目立ってんじゃねえ!不良に詰られ言わんこっちゃねえ!分相応に饅頭でも買っときゃいいんだ!)」と何となく思っていた。結局、その木刀はイカつい体育教師が旅行が終わるまで没収することになったようだった。
 ちなみに私は十九歳の頃、夏に学校に行くのに雪駄を履いていた。というのもその頃は松本人志をリスペクトしており、雪駄を履く、和を意識する松本の真似をしていた。痛い。明らかにサンダルの方が履きやすいのに。
 このように古い民具はステータス的にもファッション的にも空気的にも微妙にならざるを得ず、ろくなことはない。良いのは美女に浴衣、それくらいのものである。
 案の定、民具店内には誰もいなかった。客が誰も居なかったのではなく、店員も居なかったのである。それほど民具は売れないのであろうか。そもそもセキュリティ面では大丈夫なのだろうか?せめて木刀を持った用心棒くらい雇っといた方がいいと思うが、そんな金もないのか。

(十)

 民具店を後にし、コンビニでパンと菓子を買い、道に迷いながら高山駅に戻り、電車に乗る。車中、髪の毛が薄ピンク色のビジュアル系の若者がいた。何処の街にもビジュアル系がいる時代である。三駅ほど進み、降り、駅前のホテルにチェックインする。
 部屋に着き、さっさと大浴場に出向く。素っ裸になり、浴場には老人一人。私はシャワーを丹念に浴び、鏡を見て、「おっ男前」と心の内で唱えて自信を失わないように施す。
 そうして老人が風呂の中心で足を伸ばしているのに多少腹が立ち、仕方なく隅の方で足を伸ばす。やれやれと足を屈伸し、五分ほどすると暑くなり、またシャワーを浴び、出る。浴衣に着替え、部屋に戻る。
 すると頭が痛い。旅疲れから来たものであろう、持病のストレス性の偏頭痛が発症し、もはや思考をアウトプットすればネガティブなものしか出なさそうなので何も考えぬように努め、この日はさっさと寝ることにした。