SKE党決起集会。「箱で推せ!」(ナゴヤドーム)初日

 その青春の確認に震えた。一期生七名が唄い、並び、今ある状況を噛みしめ、涙ぐむ。

SKE48、初のナゴヤドーム単独公演初日、一曲目「神々の領域」。


 感動であった。感動でしかなかった。この日、この時、この場における青春の確認。自然にあふれる涙の存在を止めようとしても決して止められない。五年半で大人になった少女たちが誇らしく涙する。なんと美しい光景だろう。



同じ夢でも共有する夢は大きい
同じ歓びでも共有する歓びは大きい
凄い すごい
 

メンバーが発するメッセージ、たくましさ、元気さ、そして時折の素直な涙に心惹かれる人びとに支えられ、ナゴヤドームはこの日満員となり、サイリウムで大輪の花が創りだされていた。
涙ぐむ太陽によく似あう四万の華


二曲目では二期生以降がサプライズで警備服姿で佇んでいた会場のあちこちから集結し、全員で「賛成カワイイ!」が唄われた。先行く一期生に離されまいと健気に唄っているようで美しかった。ナゴヤドームは広くていいところだ。みんなが晴れがましく嬉しく唄って踊るに相応しい場所だ。


 楽曲はシングル曲、カップリング曲を中心に続く。
AKB48ですら未だ行えていない単独でのドーム公演。チャンスを与えられ、それに意気を感じると人間の体は驚くほどによく躍る。チャンスの値打ちを知り、それに歓びを覚えると人間の顔は気高いほどに昂ぶる。そんなメンバーたちを見ているだけで歓喜である。
恐怖、緊張、矛盾、難儀。
すべては歓喜の前では何事でも無かった。


 SKE48にはチームが三つある(チームS、K2、E)。チームにはそれぞれチームカラーがあり、チームK2は赤がチームカラーなのであるが、今回そのチームK2がMCをすると、ポツリポツリとサイリウムが赤く染まっていく。
 よくコンサートでありがちな事前にサイリウムの色をどうしろなどという説明などは全くなかった。ただ前日の深夜にチームキャプテンのちゅり(高柳明音)がグーグルプラスで「激しく今更だってわかってるけど」と半ば諦め気味であったが、とりあえず言っとくだけ言っとく感じで「会場が赤くなったら感動する」と書いていた。
 ドームが、真赤な太陽とばかりに赤く燃え上がっていく。圧巻であった。



 素晴らしい光景であると同時に、ファンからメンバーへの素晴らしい返事であった。
 その後もチームE(チームカラーは緑)の曲中にドーム全体が緑色に染まった。
 それにしてもドーム全体が、である。その一部として参加できたことを嬉しく思う。
 いい景色、いい姿が確かにそこにはあった。


 松井珠理奈。キリっとした闘うベテラン少女の顔と姿には希望が満ち溢れている。
なんとなく見ているだけで、すべてをコントロールしようとしているのがこの人だと分かってくる。優れた運動能力と、その感性。
「センター」というのは役割であって肩書ではない。自分が何者で、今やることが何で現在どういう状態にあるのか、全てが広い視野の中にある。そして事態はどのように動き、どう対処すべきかを一瞬の想像力で創造している。そのことが動きの一つ一つから感じられる。そして、松井珠理奈の一番の魅力は実は「度胸」だったりする。
デビュー間もなくAKB48の運命を背負わされてほとんど戦慄であったろう楽曲「大声ダイヤモンド」と、初の単独センターを務めた「鈴懸なんちゃら」。これらを唄い躍る現在の珠理奈を観て思ったことは、やっぱり、凄い。何よりも楽しんでいる珠理奈を見るのは楽しい。「握手の愛」ではまるで歓喜と握手するかのように涙ぐみながら、礼を述べながらファンと握手を繰り返す。松井珠理奈歓喜はよく似あう。


 アンコール後は、新曲、選抜発表。
 梅ちゃん(チームE・梅本まどか)が選ばれたことが発表されるとドーム内はこの日一番と言っていいほどの歓声であった。かつてはチームEのキャプテンであったが選抜入りはこれまでできず、しかしそれでも乱れず流されず、元気であり続けてようやく選ばれた梅ちゃんを想像して心打たれた。
 チームE 梅本まどか
 梅ちゃんの何を知っているかと言うと何も知らない。劇場で一回見ただけだ。ただ、メンバーに対する優しさや、ストイックめいた雰囲気が全身から漂っている風には感じた。真っ直ぐな人なのだろう。故にあの大歓声が響き渡ったのだろう。
 新曲が逆再生で披露されるサプライズが終わると十三歳から二十一歳までの八名のドラフト生紹介。緊張からか涙ぐむメンバーもいる。無理もない、いきなり四万人を前にしたら誰でもそうなる。ドラフト生による「チャイムはLOVE SONG」披露。いきなり四万人の前での披露。怖かったのかもしれない、楽しかったのかもしれない一曲。どちらだったのだろう。サイリウムに満たされたドーム内の景色は、どよめきは、歓声は、流した汗は、握ったマイクは。何を見て、何を聞いて、何を感じ、どこが痺れたのだろうか。風格漂う先輩を目標として、夢や目的に向かってこれから立ち向かう神の子を見た思いであった。
 
 
 「ごめんなさい」。最後のMCでは研究生のゆめち(野口由芽)が謝っている。結成から五年半掛ったドーム公演に六期生がデビューから一年ほどで参加している引け目を感じているようだ。「謝ることはないよ」と他メンバー。
 五年前からいつ到達するとも知れない一本の長い長いドームへの道を歩き続けた一期生と、わずか一年ほどでスイっとドームに到着した六期生。先輩たちの努力と必死さに劣る思いはあったとしても、六期生は六期生。誰と比べようもない変身を人びとの視線の中で一年も演じ続けたのだ。そのご褒美がドーム公演であっても決して贅沢ではない。


 「手をつなぎながら」を最後に公演が終わると、オレンジ色の弾丸たちが心の中を輝きながら突き抜けていったような満足感に私はまどろんでドームを後にした。
 世の中は、退屈なことの連続かもしれない。けれどもそんな退屈なことに耐えて続けていればやがて退屈は恍惚に変わり、感動となるのかもしれない。そんなことをSKE48から教わったと私は思っている。


(画像は芝智也 - Google+より)


あとがき
 およそ二か月前にはドームでアイドルを鑑賞するとは思ってもみなかった。
昨年末、初めて劇場の観客となって初めてSKE48の魅力と強さを知った。テレビやネットという媒体を通じてでは彼女らの魅力も真の強さも知らないでいた。興味を持てない世界の人たちだと思っていた。「快挙」や「歓喜」という言葉を独占していても彼女らなら当然のことで、不思議がる必要もないと遠目で諦めていた。美人がいて歌が巧い人間やダンスが上手な人間が塗れきっているだけのことだと思っていた。夢だ、希望だ、感動だ、そんな言葉を疑ってかかって仕方がなかった精神状態で昨年末になんとなく好奇心で足を運んだSKE48劇場での研究生公演を観て脳を焼かれた。鍛錬された少女たちの純粋な精神、青春の匂いを詰め込んだ劇場を出ると、すぐに次の公演の日程を調べていた。レンタルショップでSKE48のCDを借り、公演の動画をDMMで購入し、サイリウムを購入し、そうしてサイリウムとチケットの入ったカバン片手に高速バスに乗り込むという人生初の「オタ活」を行うに至った。
 SKE48の強烈な魂の昂ぶりが私の心に放たれた。それがどういうメッセージなのかはこれから自分なりに考えなくてはならない。
 まずは虚無に灯った燈籠を、文章として書くべきだという使命感が芽生え、終わったブログとして存在していたここに更新したのである。