R-1ぐらんぷりに出場するということ

朝、起きると「(あれ?今日なのか)」というイベント時の朝にアリがちな時間軸のずれたおかしな気持ちが真っ先に浮かぶ。「(いや、どう考えても今日だろ)」と思い直し、窓から外を見ると雪が積もっていた。シャワーを浴び、朝食を取り、家を出る。持ち物はi-pod、移動費、参加費を含めた所持金、電車の券、カロリーメイト、ホッカイロ、ネタの書かれたわら半紙一枚である。
バスに乗り、駅へ。駅から特別急行に乗る。
車窓は大阪に近づくにつれて雪が減っていった。車内では音楽を聴く、ネタの書かれたわら半紙一枚を凝視するという所作を行った。


大阪駅に到着する。約一年半ぶりの大阪だ。体が重くなるくらいの夏の暑いときのイメージとは違い、寒々とはしているものの爽やかな気候が自分の中の高揚感を引き立てた。
変わった食事をして腹を壊すのは困るので、大阪駅カロリーメイトを二箱食べて昼食を摂り終えた。
梅田駅に歩いて行き、御堂筋線なんば駅に行く。「なんば」というアナウンスだけで緊張感が走る。「なんば」という響きは何度もお笑いの番組などで聞いたことがあったことが緊張感を掻き立てたのだろう。
なんば駅に着くとまだ時間があったので近くの高島屋で時間を潰す。なぜかインテリアを眺めていた。


時間が近づいてきたのでパークスホールに向かう。集合場所の入り口に行くとそれらしい人間が集まっている。自分の知っている有名人の類はいない。なんつうか早朝のパチンコ屋みたいなオーラを感じる。二十代、三十代の男がほとんど。
係員らしき人間に呼ばれて会場内に入る。受付で金の徴収。二千円払う必要がある。いかにも事務的に二千円を取られる。するとナンバーカードが渡されるのでそれを左胸に付ける。そして待ち時間を過ごすことに。
ここまで緊張しないように何も考えないようにしてきたが、出番を控える場所に行ったら急激に心境が変化する。控える場所といっても控え室ではない。舞台へ進む途上にある単なる空きスペースみたいな所に人間が吹き溜まっているわけだ。そこは人がごった返しており、清々しい雰囲気が微塵もなく、道路に落ちている軍手のように皆、異様に孤立している。ただi-podで音楽を聴いているだけの者、ネタを永延とテープのように繰り返し述べている者、俯いて伏せているだけの者。異様だった。ただのゲーム感覚で参加した奴もこんな空間に入れば否応無しに緊張感に包まれてしまう。そんな感じで、緊張というよりも違和感といったようなものを体で感じざるを得なかった。
そんな状態で、俺はひたすら一枚のネタの書かれたわら半紙を凝視していただけで、音楽を聴く気にもならない。他人の動向をちらちら観察していた。
出番が迫ってきて舞台袖に通されることに。舞台袖。ここで観客の声が伝わってきて緊張もピークに。やはりプロは無名でもプロ。しゃべりなれている。彼らは相当な覚悟でプロになっているわけだ、素人とは違う、いや、そんなことはない。素人だろうがプロだろうが関係ない。勝負事にそんなわけ隔てた考えは不要。とにかく俺は無理してでも前向きに物事を考えるようにした。
ただ例外はある。笑い声だ。他の出場者のネタ中の笑い声が不快に思えてくるのだ。「(すべっちまえ!)」という非生産的な思考に駆られているのだ。自分以外の出場者がすべることにより、自分がすべっても目立たないようにありたいという保険を求めている、非生産的な気持ち。楽でいたいがあまりに他人の失敗を求める愚かな気持ちが発生してしまっているのだ。
しかし、そんな気持ちも徐々に萎えてくる。自分の直前の出場者のネタ中、正直自分が何を考えていたのか記憶に無い。手前の奴のネタなど一つも覚えていない。
いよいよ自分の出番。脳からの指令によりやっと体が動いているようなぎこちない感じでステージ中央に行く。客の顔は見たくはないが狭い会場なだけに簡単に目に入ってしまう。
「どうも○○です。よろしくお願いしまーす」。
マイクに向かってこのセリフを発する俺。このセリフがマイクに乗ってどれだけ響くかで声量を確かめる。「(若干声が上ずっているが、とりあえず会場には伝わっている声量だ。中学の激励会のときより緊張してない。やるしかない)」と、一秒くらいの間にそんな感情が浮かんだ。そしてネタを始める。
ツカミはいまいち。どや顔で客席を見るが、無表情の客が多数。こいつら悪魔だ、そして微笑している少数の客は天使だとネタ中にも正と負の感情が交錯する。
どうにもハイテンションな感じでやっていると違和感を感じる。自分が自分でないような感覚。まるで遠くの山のほうから鋭い視線と微笑が届くような感覚がずっと続いて、恐かった。
ネタ時間は2分。とりあえず自分の虎の子のネタの「動物に関するネタ」をなんとか2分以内に終わらせた。
「どうもありがとうございました」と最後に言うのだが、「ございました」の「ました」の部分が脱力して言葉にならなかった。
舞台を降りると安堵。ともかく終わった故の安堵感が体全身を包んだ。出場したというこの事実、何者にも代えがたい事実を考えたら「すべった」だの「声が時折震えていた」だのという細かいことはどうでもよく思えた。
出場者は出番を終えたら残って客席に行って観覧する奴も多かった感じだったので俺も成績発表まで残ることにした。残って他人のネタを見ても、笑いたい、貶したいという気持ちは発生せず、むしろ自分のこの生々しい安堵感を濁さぬように取っておきたいという気持ちが強くてずっとボーっとしていた。
ボーっとしていても徐々に気持ちが変化していく。人間とは欲張りだ。出場するだけで金星だと思っていたが、欲が高じて「俺を勝たせて祝福しろ」という気持ちが発生。無論、「どうせ俺なんて」という諦めの気持ちの方が圧倒的に上回っているが。


そして結果発表。
結果は
駄目っ……。


名前が呼ばれることは無かった。一回戦敗退という事実。誰でも参加できる大会で一回戦敗退なぞ誰でもできる。結果を出せなかったという事実が重く圧し掛かる。ただ単に出場したということ、これには価値があったのだろうか?今の俺には分からない。
振り返れば俺はまるでなっていなかった。ただいたずらに喋ったという感じ。人を笑わせる喋りではなかった。勝つ奴は勝つべくして勝っているのだ。そりゃそうだ、机上の発想だけで勝てるわけがない。
満足した気持ちと残念な気持ちが入り乱れた複雑な気持ち。俺は今日のことを振り返りながら「ははは…」と心の中で無理やり笑いながら帰路についたのだった。