卒業アルバム

小学校、中学校、高校の自分の卒業写真を見比べてみることにする。
そもそも卒業アルバムを見返すなどという、過去を痛烈に振り返る作業は自分にとって大きなストレスである。自分の写真だけでも十分なのに、周りに嬉々として写る同級生を眺めると、それは言いようの無い複雑な心境になってくる。
小学校の卒業写真はおそらく12歳の自分。撮影当時が秋だった記憶があるのでもしかしたらまだ11歳かもしれない。自分は制服を着ていたが、周りは皆、私服である。これは私が撮影日に風邪をこじらせて休み、後日に撮ったため、私だけ制服なのであるが、今にして思えばなぜ皆、いつも制服を着ていたのに卒業アルバムに限って私服にしたのかが疑問である。普段、全く笑わなかった私はカメラマンに笑うように促されいやいやハニかんだ記憶が微かに残っている。髪型は坊ちゃん狩り、顔は色白く、目もパッチリしている。しかしながら当時の自分は人と喋ることに微塵も興味がなく、学校で一言二言しか発せずに帰宅することも往々にしてあった。子供らしい愛想を振りまく演技が全く出来ない大人に好かれようとしない子供であった。
中学の卒業写真は14歳の自分。撮影が夏であったためまだ14歳である。まだギリギリニキビが酷くなる前の写真である。髪型はきのこのような髪型。地毛の茶色いっぽい色が目立ち、顔は相変わらず色白く、眉毛が濃く、目がぱっちりしており、東欧人に間違われるほどはっきりした顔である。やはりこの頃も普段、全く笑わなかった私はカメラマンに笑うように促されほとんど微笑にもなっていない歯を僅かに出しただけの不自然な表情に仕上がっている。
中学三年のクラスでは常に孤立しており、中一、中二の段階で取得した人を笑わせるという術もこのクラスでは全く使えることもなく、なんなら可哀想ないじられキャラに仕立て上げられる始末で、居た堪れない環境であった。この撮影時は夏の暑さとクラスでの息苦しさが相まって毎日学校へ行くのが苦痛であった。
高校の卒業写真は最も濁った写真である。まるで力が抜けている18歳の自分。堕落した濃い顔にはブツブツとニキビがあり、髪の毛に白髪が混じっている。不自然でも自然でもなく、単純に表情が無い。目が虚ろになっている感じで、若々しさが伝わってこない。高校のときは過敏性腸炎を患い、現実逃避のために毎日授業中は目を半開きにしながら過ごしたため、それまでのパッチリした目が徐々に虚ろになっていったのである。写真撮影時にも教師から目を開けるように促された記憶がある。
三枚を見比べればいかに目の力が必要であるかが理解できる。目が虚ろになっている自分。それが自分の辿った苦しみを象徴しているような気がしていくぶん心が重くなる。