Everybody hears what the money says

無駄の多い人生を送ってきました。
自分には大人になる見込みがあると思えないのです。
初めてアルバイトをしたのは18歳のとき、新聞配達でした。最初の一週間、自分は研修ということで一歳年下の男の後ろをただ付いていくだけであり、未明の街中、自転車を二人、縦二列になりながら漕ぎ、男が新聞をポストに入れる際はそれを眺めるだけで、男は何の言葉も発さずにただ作業をし、自分はひたすら順路を覚えながら男を追っていくだけでした。そのときの敗北感というのは未だに忘れられません。
自分は幼少の頃、お金というものは簡単に手に入るものだと思っていました。親によく銀行に連れて行かれたものだから、自分は、お金というものが銀行という施設から何もしなくても勝手に配られるものであるとばかり思っていました。
時が経つにつれて、お金というものがいかに世の中で尊重されているかを徐々に知り始め、そして、お金を貴重とする世の中をつまらないと思うように感じ始めました。
私は幼少の頃から、小遣いなどでお金を手に入れることに対し、周囲の人間に比べればそんなに嬉しいと思ったことはありません。小学校の正月明けなどで周囲がお年玉の自慢をしているときほど、つまらないと感じたことはありませんでした。
未だに私はお金に興味がないのかもしれません。どこかの金持ちから「10万円を自由に使え」とボンと渡されても途方に暮れるかと思われます。
そうして新聞配達で初めて給料を貰ったとき、本来初めてのアルバイトの給料であると、世間の人間は大喜びするそうですが、私は嬉々とすることもありませんでした。小学校の頃、床屋のオヤジがおまけにキャンディをくれたときの方がまだ嬉々としていたかもしれません。