東京・八王子無差別殺傷事件第2回公判

konrinzai2009-02-21



何をどこからどう考えればいいのか。
裁判を傍聴するのはこれが初めてだった。


2009年2月20日。東京都八王子市。この日は朝から雨が降っており、傍聴希望者は裁判所前に並べられる予定だったが雨のために室内で待機せられ整理券を受け取り、抽選結果を待つこととなった。傍聴席16席に対して30数名が9時半過ぎの抽選に参加。倍率はおよそ2倍であった。
番号が呼ばれ、整理券を傍聴券と交換。手荷物検査(あまり厳しい検査といった感じではなかった)を行い、10時前にいそいそと法廷内に誘導された。
法廷。いかにも密室といった感じで、窓はなく、白い壁に覆われ(染みも時折ついてる。そんなに新しくもない壁)、木製のドア(ドアは木製の「パタン」と開けて閉めるタイプのごく普通のドア)と仕切りの柵があったりと、圧迫感が強いというか画像や映像で見るよりもなんとも息苦しい感じのする空間のように思えた。
「傍聴すること」というのがいまいちピンとこないままに席に佇んでいたら刑務官3名と被告人が現れた。刑務官がドアを開け、忽然と入ってくる。


被告人 菅野昭一。
手錠、紐。新鮮なものだった。はっきりした感情は出てこないが、殺人者がほんの数メートル先にいるというこの密室空間はなんとも不気味な感じがした。
入ってくる際に特に特徴的な動きは見られなかった。縄紐を解いてもらい、手錠を外してもらう被告。刑務官に挟まれ、座る。
五体満足。見たところ身長は170cm以上はあるか。髪型は丸刈りを伸ばした感じで、白髪が混じっている。服装は上下紺色のジャージ。おそらくナイロンジャージかと思われる。全体は紺色で、襟元が白く、上下とも灰色の線が入っている。ジャージの下には水色のシャツを着ている。
特別痩せているとも太っているとも思える印象はないが、事件時の報道で流されていた顔写真に比べるとごついという印象。頭皮は特に異常もなさそうだ。肌は耳からあごにかけて若干荒れているが、それほど異常はなさそうだ。肌は全体的にしらじらと抜けた色をしており、顔は荒れもあってか若干赤ら顔だ。口がある、そして話もできる。声は呟きのような感じだったが聞き取りにくいということもなかった。眼は開けている。死魚のように冷たくかすんでいることもない。傍聴席の方は終始見ていなかった様子だ。俯くか、裁判官の方を見るか(本当に見ていたかは背中越しなので確認できなかったが)のどちらかという感じ。あらゆる体重移動も可能なようだ。ともかく被告という人間は生きている、ごく正常に。刑務官が付き添いだ。初めて殺人者というものをまじまじと見たが、どうやらあらゆる器官を保っている。殺人者に今もなお、人間めいた性質が許されている現状を確認した。


午前10時。裁判官が入ってきて起立して礼をして座るといよいよ開廷。
大まかに言うと弁護人が午前中いっぱい2時間ほど話して午後から検察が話して裁判官が質問して証人が出廷してといった予定で進んでいった。細かい用語は分からないし、速記メモなどできるわけもないので、完全に正確な内容と言えず、時系列も何も大してまとまってない滅裂な感じだが素人なりに書く。
弁護人がこの事件を起こして被害者に対してどう思っているかの問いに
「ただ申し訳ないという思いでいっぱいです」と話す被告。それ以外に言うことはないかと問いただされると「ただ申し訳ないという思いで…」。全体的に被告は同じような語彙を何度も使うように思えた。頻出された言葉は「頭が真っ白」と「ためらい」だ。前者は犯行中、直前、直後の自分の状態の表現に使用し、後者は犯行前の心境の表現にたびたび使用していた。また、調書と違う事実のことを述べるなど支離滅裂な供述も多々あり、そのことを弁護人に指摘されていた。


被告は自分で自分の性格を「内向的で臆病」と表現。小学校で友人が2,3人で中学ではいなかった。小学校で物を隠されるなどのいじめを受け、中学二年のときに敵わないという相手に虐めを受けている。自身は事件を起こすまでに暴力を振るったことはないと述べていた。成績は小学校、中学校ともに「中の下」だと表現。特に国語と数学で付いていけなかったとのこと。弁護人が九九はできるかと尋ねると被告はあまりできなそうな返答をしたので弁護士は「8×6は?」と聞くと被告は答えることができなかった。さらに事件当時は心臓の位置が左胸か右胸のどちらに位置するかも分かっていなかった。読書が趣味だが漫画を読むのが中心。小説は西村京太郎が好み。
職歴はトラックの助手、警備員、製造業、背広の仕立てなどをするが、てんかんの発作で辞めるなどする。
持病でてんかんを患っており、中学1年で最初の発作、16歳で2回目の発作。そして事件翌日にも発作を起こしている。これまでに10回ほど発作を起こして、発作を抑える薬を4錠、その薬の副作用を抑える薬を2錠、朝晩食後に飲んでいる。
平成18年の夏前にアルバイト先で知り合った女性と結婚したが(それ以前にも他の女性との交際経験あり)、平成20年3月に別れた。理由は生活費を入れなかったことが主。パチンコを仕事帰りにやっていた。
仕事中の怪我。自分の不注意で指を怪我したのではないと述べていた。仕事の同僚に対して「機械のスイッチを入れないで」と言ったのに伝わっていなかったのかスイッチを入れられたことで負傷したとのこと。
昨年五月に製作所に就職した頃に父親に対して「もう帰れないよ、殺される」といったメールを送っていた。なぜそういう内容のメールを送ったかは被告自身覚えていない。
事件を起こした動機は「親を困らせたかった」。だが親を殺すことは考えてもいなかったそうだ。秋葉原の通り魔事件を見て同じ感じでやろうと思ったとのこと。一人の人間を殺そうと思っていた。自分に振り向いてくれそうもない感じの客の女性を殺そうと思った。「事件を起こす前と後ではどっちが辛いか?」という質問には「今の方が、考えていた以上に辛かった」と。自分の懲罰に関してどうなるべきかと検察が問うと「被害者と同じように…」という風に言うと「それはどういうことですか?」といった感じで検察が問う。すると「死刑を覚悟しています」と呟くように述べた。


(便宜上、亡くなった店員の被害者をAさん、怪我をされた客の被害者をBさんとする)。
証人としてAさんの遺族の男性が訴えた。背中は妙に凛とした印象だった。AさんやBさん、自分たち(Aさんの遺族)の苦しみ、程度など、事件が社会に与えた影響などを丹念に述べていた。続いてAさんの遺族の女性の供述調書の読み上げ、怪我をしたBさんの供述調書の読み上げへと進んだ。
Aさんは人に思いやりを持つ、みんなに好かれやすい女性だった。16歳のときにお父さんを亡くされている。そんなこともあり、大学進学するAさんに対し、お母さんは50万円の入った封筒を渡した。大学の卒業論文は独創的なテーマで、昨年夏ごろには終わりかけており、今年3月に卒業する予定であった。包装紙のデザインに興味があった。Aさん自身、目立つことがあまり好きでなく、事件報道で名前や顔写真を掲載されていることに遺族は心を痛めている。(この日の公判でも全て匿名であった)。
人や物を大切にする人で、お姉さんから貰った筆箱を10年以上愛用し、アルバイトにも精を出し、節約することを努めていた。Aさんが亡くなって、家族が遺品整理をしていたら、50万円が入った封筒が手付かずの状態で見つかったそうだ。
遺族はAさんが書店の冷たい床で最期を迎えてしまったことに対し、強い憤りを感じている。被告に対しては極刑を強く望んでいる様子であった。

Bさんは左手の怪我がまだ完治してない。事件のせいで人ごみが怖くなった。事件後、本屋で立ち読みができない。隣にいる人が刺してくるんではないだろうかという恐怖や外出すること自体に恐怖を持つ。それまで料理も好きだったが、包丁が怖くて料理をすることにも支障がでるようになった。家族といるときしか、部屋にいるときしか安心できない。事件前は東京で音楽関係の仕事をしようかと考えていたが、事件に遭ったために人ごみが多い東京が怖くなったので地元に帰りたいとのこと。ピアノは手のリハビリには最適だが、ピアノでリハビリをすることに抵抗がある。それは事件前に弾けていたピアノが弾けないことによって、事件に対しての意識をしてしまうことを恐れているから。被告に対してはより重い刑を望んでいる。
供述や読み上げがされているとき、被告は椅子に腰掛けて俯き加減でひたすら地に目をやっていた。
弁護人の精神鑑定請求が認められて午後3時半過ぎに閉廷した。


初めて傍聴をしたわけだが、正直後悔した。殺人者がおり、遺族がいる密室空間というのは少しでも素直な心を持った者なら耐え兼ねないだろう。最初の傍聴にこの公判を選んでよかったのだろうかという気持ちが多少ある。ただそわそわと、遺族の顔を見ないように心がけ、言葉を聴き、被告を観察するという様。これが果たして。眼をぎらぎらしながら、耳を澄ませながら体感するのも間違っている気がする。感情移入してもどうしようもない気持ちになる。後ろめたい感じがして仕方がなかった。


毎日新聞〔都内版〕