卒業旅行

何度も書いているが、扶養から外れている。そのため、労働していない現在、健康保険証がなく、病院の治療費を実費負担をし続けることが経済的に苦しいので、病院に続け様に行けないのが現状。このため、新社会人になる4月が怖い反面、早く4月になって欲しい(他の感情もあるがここでは伏せとく)という思いが発生している。
最近はある人間を○したい(敢えて伏せます)、ある人間を助けたいという気持ちが両方とも心中に絶えず滞在している。この気持ちが現在の自分の本心かと思うと救いようがない気分になる。
自分は「来る者拒まず、去る者追わず」というのが人間関係の鉄則だと思っており、人と出会うことは素晴らしいことだが、出会えない、または出会えなくなることはやむを得ないことだと認識しており、世に存在する偏執的な性質を持つストーカーなどをする人間が信じられないでいる。しかし、自分は犯罪者とそう違う種類の人間だとも思わない。一貫性がないからである。十秒前までなんとも思っていなかったのに急に鬱屈とした感情が噴出するときがある。不意に自傷行動に打って出るとか、人を攻撃するというのはこういった魔が差すことにより起こりえることもなくはないと思っている。故にその不安をいつも抱えているために不安定だと考えざるを得ない。


さて卒業ゼミ旅行に行ってきた。この旅行はゼミナール単位の旅行であり、友人関係で徒党を組んで行くものでなく、単なる催し物感覚といった感じであろう。今回は一言で言えば「非合理的な思い込み」というものが心中を蠢いていた旅行だった(いや、思えば自分の人生は常にそういったものが蠢いている)。
まず、ゼミナールというのは私が二年間所属していたゼミナールである。このゼミナールで友達と思えるものはおらず、また、自分が内向的な性格で、さらに新参者(説明省く)であったことも影響して尻込みしがちな姿勢で入属したために周りを引きつけることが全くできなかったことにより、常に孤独な状態でゼミナールでは過ごしていた。その総決算とも言うべき、卒業ゼミ旅行に行ったのである。
バス車内では小太りの青年が隣に乗るも全く会話をせず、自分は常に「無言の行」を貫いた。その理由。

・今まで喋っていない人間が喋りだすことによる違和感を他者に感じさせることの恐怖
・自分の会話能力のなさを露呈することの恐怖
・黙っていても損はしないという安全面を優先

これら三点が理由だが、全ては恐怖から来るものである。一点目は入属当初はなかったものだが、この事象が前提となった現在は自分が「無言の行」であり続ける理由の柱となっている。二点目は今もそうだが、就職してからも大きな課題。会話能力を伸ばしつつ恐怖を恐れずに向き合うことが世間からは求められるだろう。三点目は単なるその場しのぎ。現在、学生時分ということもあり、喋らなくても生きていけてしまうことが作っている事象。
目的地に着いてから自由行動というものがあり、自分は一人で散歩をしていたのだが、なぜか一人に呼び止められて集団行動をすることになった。しかし、その集団でも結局ほとんど会話をせず、やはり何も楽しくなく、不意に微笑の表情を作る練習をしてみたり、あの建物には霊が蠢いているのだろうか、いや、今の自分には霊なんてただの子供だましとしか思えないなどと、呆けた感じで一人、感情を流していた。
旅館に行き、夕食前に露天風呂に行くことになった。風呂に入るということはとても心地のよいものです。夕食。実にみな、和気藹々としておりました。
ほかの客にも若い者たちの旅行者がおり、ギャルがおりました。不意に若い女の知り合いが欲しいと思いましたが無理だろうと狼狽。土下座してでも知り合いを作らなければならないという気概があった方がまだマシなのではないかというくらい心はすさんでおりますが結局それすらもしない悲しい性癖。自分は幼少時から理解不能な性質です。
ゼミの席でアルコールを摂取し、とうとう自分の道化が始まりました。といっても少し調子に乗る程度で場をしらけないように場になじむようにそれなりの配慮もしつつ飯を胃に運ぶ作業を続けました。食後に卓球をしました。
以降…
一人で夕寝→一人で深夜徘徊→8人部屋で寝る→起きる→朝食→土産屋→帰る。