日曜日よりの日記

人見知りが激しいことを改善していくにはどうすればよいか。漠然としすぎていて改善するにも手が付けられないので具体的な問題に細かく砕いて、一個一個改善していくしかあるまい。あとは行動するだけ。とにかく自信を持つこと。自信の根拠なんていらない、、。やれやれ面倒だ。止めた。
だらだら生きてきた結果を改善しようと宣言して何度挫折してきたことか。昔にもそしてこれから先にも同じようなことを考えて悩んでいる気がする。同じ思考がまたいつかやってくるだろうというこの妙な感覚。
サザエさん症候群」なんてのがある。日曜が終わり、平日の連鎖の始まりの月曜日がやってくるから陰鬱だということだが、自分は今よりもむしろ高校までの時代にその症候群と付き合っていた。今は「サザエさん」に対する意識がちょっと違う。何年経っても日曜の夜に「サザエさん」が放映されている。過去も今も未来も「サザエさん」が放映されている。夏休み最後の「サザエさん」を見てみよ。毎回カツオが宿題に追われている。そっくりそのままのことが毎年毎年イカれたようにやってくる。カツオは坊主のまま、ワカメはパンツを見せ、タラオは3歳児のまま、イクラは知障のまま。永延に変わらない。ほら憂鬱になってくる。同じことがイカれたようにやってくることに矛盾を感じている。俺は未熟なのだろう。
中央大学刺殺事件の容疑者の報道。「社交性がない」、「友達がいないようだ」、「大学で1人で弁当を食べているようだ」「仕事が決まってもすぐ辞めてしまう」。自分のことを言われているような気がして妙な哀を感じる。もちろん殺人は相当、愚かで救いようがない。ニュースキャスターは畏まった口ぶりで確実なことばかり言う。愛情が足りなかったのか、職場と馴染めない性格が悪かったのか。結論など出るはずも無い。
俺は創造活動を行う人間としての信念のようなものが必要だ。今の自分の基盤がいかに脆いものであるか、泥沼の中を演技しながら固めていかなければならない。

でも泥沼の中でうつ伏せで寝たいという気持ちが強い。いや、多分そうなる。○○しなければならない、と自分に言い聞かせて成功などするのか?皆、よくやるよなあ。