走るんじゃないメロス

太宰治。この人物を知ったのは小学校の「走れメロス」の授業だったかと思うけど、細かくは覚えていない。『セリヌンティウス』という響きが妙に舌触りがよいな、と思った。

【作品の流れ】
メロスさんは邪悪に敏感なのです

邪智暴虐(じゃちぼうぎゃく)の王がおりました

メロスさんは死ぬ覚悟で王に刃向かいました

ああやっぱりちょっと待って、妹(16歳)の結婚式に出たいから処刑は三日間待ってくれや

逃げるんだろう?

いや逃げませんよ。そうだ、セリヌンティウスっていう友人を人質にしてくれや

メロスさんは一晩で十里(39.27キロ)の道を走り、妹のいる村へ行きました

さっさと明日結婚式してくれ、とメロスさんは懇願

ぶどうの季節まで待ってくれ、と婿がわも引き下がらない

しかしごり押しで結婚式開始

王の所へ戻ろう

河川の氾濫、山賊の来襲があったがなんだかんだでクリア

しかし疲れたもうダメだ。セリヌンティウスに悪いけど寝よう

やっぱり走ろう

着いたらセリヌンティウスにぶん殴られた

メロスも殴り返した

肉体抱擁

王(邪智暴虐)が「感動した!私も仲間に入れてくれ」と

「そういえばメロスさん、ズタボロで全裸やないですか」でフィニッシュ

この作品、ひどくマヌケだと思った。妹の結婚式に出て、友人を見殺しにしないために走り続け、最後は全裸でハッピーエンド。ただの露出狂のお話だったというオチなのならまだ面白いが、人を殺しまくった王が最後、悪びれた様子も無くメロスの仲間にいれてくれだの、茶番である。
人を信じることは大切である、という教訓は捻くれた小学生には受け入れがたい。友情や口約束のみで果たして人はこうまでも簡単に人質になったり、永延と走り続けることができるのだろうか。