作り痛がり

世の中は頭を下げなければ生きていけないのです。人の言動を綱渡るように乗り越え、乗り越え、そうしてようやく死ぬのです。
嗚呼、それにしても青二才の私、毎日毎日生きた心地がしない。仕様の無い無能扱いされるのに行かなくてはならない。どうしてまた汚れる機械を掃除しなければならないのでしょう。
人が食事をし、仕事をする毎日に疑問を持ちます。なぜまた腹が減るのに何度も何度も食べるのか、どうせ使い込む金をどうして稼ぐのか、どうせ死ぬのに(「どうせ死ぬのに」という言葉以上の脅威文句は生まれてこの方聞いたことがありません)。人は成長を称えますが、その成長もいつか絶たれます。季節外れのセミの哀しい声が聴こえます。死ぬという行為を肯定する気は毛頭ございませんが、生きている行為はただただドケチでトンマであると申しておきます。