タンゴな人間

“どんぶり”という単語でイメージする丼は人それぞれまったく違う。牛丼、カツ丼、天丼…。牛丼でも店の牛丼か手作り牛丼かが違い、さらに店の牛丼でもある特定の店の牛丼であったりするわけで、一つの単語のイメージは無数だ。
“反省”とか“矯正”などという単語はただ憮然と呆気らかんと存在しているだけで、その単語の価値基準は個人のご都合で作られている。卓上の理論というのは本当に茶番だと感じる。
人間は無力だ。国語辞書片手にイメージを発したところで本物のイメージは伝わるわけもない。ただ憮然と使われる単語のように、今日も私は仕事人として生かされている、イメージも持たされず。