祈りの浮かぶ生活

眠りたい眠りたいと欲しながら朝起きる。いつものようにアパートの部屋は散らかっている。部屋を散らかしたまま外へ出て行くときの罪悪感たらない。今日だけは死んでも死に切れぬと思う。そんなことを思いながら一向に片付かないままだ。
暑くはないし、熱くもない十一月。虚ろとぼんやりと、冷ややかな風に吹かれて仕事をする。未だ責任のあることはさせてもらえないし、相応の能力が身に付くかが疑問のまま、見習いの状態である。黙って立っているのだ。小学校から大学まで紆余曲折あったけど、全て“失われた時間”と一まとめにされて土や油に塗れて見習い作業をしていると己をいじらしくさえ思う。
昼休み。おにぎり食べ放題のラーメン店を訪ねる。ラーメンは寒さが調味料と言ってもいいほど、寒い日には恐ろしく旨いのだ。どうしてこうして私はラーメンの虜になってしまったのだろうか。両隣には作業服を着た者、スーツを着た者と、労働者風情がおり、各々ラーメンを食している。私もいつの間にか労働者の仲間入りを果たしたのだな、と思う瞬間の一つである。
コンビニで買った新聞を見ていると、世の中も醜くなったな、と厭世的な気分になり、いや世の中はもともと醜いのだ、と悶えそうになり、勝手に涙が出てきた。いつも黙ってボケっとしている自分が情緒不安定になった瞬間だ。人間の攻撃本能の狂いについてふと考えてみたが、他人の本能なぞ制御できるわけもないし、考えれば考えるほど思考を徐々に大きな袋に被せられたようになり、何も考えたくなくなった。
午後の仕事に取り掛かっているとき、転職について考えていたり、とにかく迷っている状態にあった。今やってることは無意味でつまらないだのと考えては、そんなことを考えている自分を軽蔑してみたり、でもやっぱり生活に何も目標が無いからつまらないだのと反芻している。自分も仕様が無いなあと思いつつ、時間は過ぎていく。
日の入りが早くて午後五時前には暗くなる。夕暮れ、車のヘッドライトの数珠繋ぎ。暗闇の入り口はいつだって神々しい。そんな中、体中が土ぼこり。間抜けなので大して作業もしてないのに他人よりも汚れが酷いことが多々ある。
帰る頃には真っ暗だ。事務室で日報を書いていると、インスタントコーヒーの匂いが漂ってきて、ぼおっとする。
朝と相変わらず、ぼんやりとしたまま職場を去り、また一日老いぼれた、と思いながら散らかったままのアパートの部屋へと戻る。
荒涼な季節に倦怠感がうごめいている有り触れた一日。たちまち今日のこの日も忘却されるのであろう。