「二度はゆけぬ町の地図」


二度はゆけぬ町の地図 (角川文庫)

『貧窶の沼』(P39-42)
「いくら腰かけ気分のアルバイト仕事でも、前借り、遅刻、無断欠勤とやりたい放題にやられたんじゃ、どんな所でもすぐにクビにされてしまうぞ……今日から、そういった態度を全部改めるんなら、うちでは今までどおりに働いていてもらいたいんだが……」
「……すみませんでした。改めます」
「本当に、改められるか? 絶対に、改められるんだな」
「はあ」
「それならばまあ、信じることにしてみようか。折角縁があってこうして来てもらっているんだから、お互いに信用しあってやっていくことにしようか」
「はあ」
「……それと、うちも言うまでもなくお客さんあっての商売をしてるし、そのお宅に配達にも行かせてもらってるんだから、もうちょっときみはマメに風呂にも入って、清潔にしていてほしいんだよ。実はきみには言わなかったが、この間、あるお客さんから苦情が来てな。きみの、靴をぬいだ足が臭くて、なんだかその家の中を通ったあとが気持ち悪いから、玄関から台所まで雑巾で水拭きまでしたそうなんだ。それで大変な思いをしたから、もうこれからはきみは寄越さないでくれ、必ず誰か別の人に配達させてくれって言われちゃったんだよ。この辺の人は、そういうことを遠慮なく言ってくるからな。俺まで恥ずかしい思いをしたよ」
 これを聞いて貫多は思わず顔を上げ、最近、配達先で靴を脱いだ一般家庭はどこだったろうかと記憶をたぐってすぐ思い当たり、そこでようやくムカっ腹が立ってきた。そして自分の足元に目を落とし、かれこれ一年以上ははき続けているスニーカーのなれの果てみたいなものを見たら、何んとも云われぬ恥辱感が湧き上がり、これまでの鬱憤ともども、急激にはけ口を求めて噴出してくるのを感じてきた。それでつい、あとのことを考えず、
「それだったら、もうぼくは辞めさしてもらいます。そんなことまで陰で言われてるんじゃ、いくら何んでも立つ瀬がありませんからね。それに、ぼくの為にそんな恥ずかしい思いをさせたと云うんなら、それは大きに申し訳ありませんでしたね。だからぼく、この際辞めます。辞めて、お詫びをします。辞めれば、文句はないんだろう? こんな所からは一刻も早く消えてやるよ」
「……………」
「ぼくを迷惑がったって云う、そのジジイのとこにも、謝りに行けと言うんなら、ついでのこの足でもって、ちょっと謝りに行ってきましょうか。『おかげさまで、クビになりました』って。もしかしたら謝まってるうちに、ついジジイをゴキブリと見間違えて叩き殺してやっちゃうことになるかもしれませんけど……でもまあ、それはぼくの手に汚ねえ汁がひっ付くからやめておきましょう。そのかわりと云っては何んですけど、そちらもまた来られたんじゃ迷惑でしょうから、互いの為です。今、すぐと日割の給料を計算して、この場できっちり払ってやって下さい。もはや前借りでもないんだし、他へのしめしがつかねえってこともないでしょうからね。それ貰ったら、ぼく、すぐと消えちまいますから」
 歪み根性を全開にしたことを口走り、もはや何か言う気もなくなったらしい店主が無言で日割計算を始めたのを待っている間、貫多はこれまでの様子を傍らで見ていた二人の学生バイトが、この最後の機会に、自分に何か文句をつけてくるのではないかと思い、睨みをきかせていたが、ついに彼が給料を受け取り、外に出るまで喧嘩を売ってもこなければ別れの言葉もないままだった。

『貧窶の沼』

『春は青いバスに乗って』

題名だけ見て、牧歌的な内容なのだろうかと思いながら冒頭を読み出すと、どうも様子がおかしい。

(冒頭)
 暖房は消灯後もゆるく作動していた。これなら胸より上に引きあげることもないと思うのだが、やはり三月末の薄ら寒さにいつか負けているのであろう、目が覚めると汗と脂と涎に加え、小便の匂いまで沁み込んでいるその毛布に、肩からこっぽりとくるまっていた。
 その朝もまた、これまで何十人が使ったとも知れぬそれを、いまいましい思いで体から引きはがし、腹の辺まではぐってから寝返りをうった。それぞれが壁際にそって敷いた布団に横たわる、他の三人はまだ眠っているようである。私は自分の肌着から毛布のそれと限りなく似た異臭が立ちのぼってくるのを感じ、こりゃ着替えを何んとかしなきゃいけないなとひどく重い気持ちでため息をついた。

『潰走』

七十過ぎの好々爺が家主のアパートで暮らす主人公、貫多。貫多はその日暮で家賃滞納を繰り返し、好々爺の家主はやがて鬼のように豹変し、がなり立ててくる。約束の期限を延ばし延ばしにして結局、家賃を払わないでいるので家主が怒り心頭になるのも当然といえば当然なのであるが、あろうことか貫多はその家主の態度に殺意までもを抱き、孫の女子高生を犯すなどというあられもない決心をするも意志薄弱なために当然、実行するはずもなく。
この貫多の社会常識をねじ曲げに掛かる磁場は恐ろしく強大で悲惨である。

『腋臭風呂』

題名からして腰が抜けそうである。
読んでいるだけで不吉な臭いが漂ってくる。
以下、愕然とした文章。

(P163)
 それを思うと、かの小男はそうした気遣いは持ち合わせてはいないらしいものの、やはりその不快臭は、何も自ら望んでそうなった発症でもあるまい。そんなことを言えば、私だってその後年にはひどいインキンに罹り、いっとき玉袋が煮くずれ里芋みたいな状態になってしまったことがあったし、淋疾を病んだときも、遠慮がちながら銭湯は使わせてもらっていた。