髪切り奉行

 朝、家を出ると隣の家の生活臭がこちらの玄関前まで漂ってきて気が滅入る。何で家出てすぐにムッとする臭いを鼻腔に通過させなきゃならんのかと思うと、壁を破壊して殺してやろうか、クソ野郎、ええっ!みたいな凶暴なスイッチが当たり前に入りそうだった。
 けれども髪がぼさぼさで頭が重くてそれの方が不快だったので兎に角、いつも行っているヘアサロンに向かった。雨が降っており、空いているかと思ったが午前十時台、激混み。待合席はもとより入り口付近まで立って待っている者もいる。番号札をお取りください、取るか!
 予約制じゃない店で安価で土曜の午前中だとまあ混むのかな、と納得しようとしたが、しかしギュウギュウにつめられたソファに座る老若男たちを見ていると、この人たちそんなにこの店で散髪したいのかと哀れに思えて、その気持ちを膨張させつつ店を後にした。
 そして次に、そういえばあの辺に数ヶ月前にチェーン理容店が出来てたな、と思って行ってみると「テナント募集」、潰れていた。半年足らずで潰れていた。さて困ったな。
 美容院はどうかって?フリーターの頃に数回行ったっけ。あれはいつの頃だっけ、電車男とか流行ってた時期の少し後に俺も垢抜けようかと思って美容院予約したんだけど、まず予約する電話に怖気付いて、入店するのに怖気付いて、最初に打ち合わせでカットモデルのカタログみたいなのを見せられて自分に合った感じのを選ぶわけだけども、店の雰囲気に圧倒される。当たり前だけども年季の入ったゴルゴ13とかこち亀を雑然と置いて客がこねーから新聞読んで待ってるおっさんの床屋とは全然雰囲気違うじゃねーか!ってな調子。こちらにある雑誌を自由にお読みください、と言われても普段読むような野卑じみた雑誌が置いておらず、仕方なく頭に入ってこない適当なファッション雑誌を選んで読むふりをしながらカットされていく。隣でませた女子が美容師と雄弁に話している様子が伝わってきて俺は無言で頭に入らない雑誌の字を必死に凝視するもこの雰囲気耐えられねーな、と思い結局三回くらい利用してからあとはずっと理容店。髪なんてよ、結局、すぐ生えるんだからどこで切っても一緒だろーが!と半ば開き直って安価な理容店を利用することになったのだ。
 さてこの日三件目の理容店に到着すると、やはり混んではいるが馬鹿みたいに混んでいるわけでもないのでやっとの思いで入店した。長椅子に座ってから数分でカット席に座らされたが、そこでもただ座らされるだけの時間が続く。
 待っている間に観察していると、この店は顔そり、カット、シャンプーと店員が分業制。リーダー的な店員が客が入ってくるたびに「○番の席へどうぞ」とか「長椅子へどうぞ」とか指示をして、この言葉を聞いて客は指示に従い、流れ作業に組み込まれていくというわけ。そうして顔剃りをする店員がバンバン顔剃りだけをやって、髪を切る人は髪を切り続ける。顔剃りの波に飲み込まれて、俺も顔を剃られるも、また放置される。入店して待たされ、カット席で待たされ、顔剃られて、待たされる。人生の殆どは何かしらの待ち時間だ。
 そうしてぼんやりと装飾物やら番号の書かれたパネルを見ていると、おっさん店員がうろちょろとしていて顔を剃ろうか、と行った仕草をしだしてリーダー的店員が「やらなくていーから!」と咎める。明らかにリーダーが若いわけだがおっさんは、はいはいとあっさり退く。その後もリーダーが「○○さん、あれ」とかぶっきらぼうにおっさん店員をレジ打ちやらの雑務で動かし続ける。何だか哀しいけれども若い店員の方が遥かに動きが俊敏だし、おっさんのスピードではカットや顔剃りはこなせないのだろう。
 ようやく自分もカットをされて髪を洗髪し、外へ出る。やれやれ、理容師ってのも大変そうだな。