ひょうふっと博多(後編)下

正午過ぎ〜

 大宰府駅から西鉄福岡駅に戻り、歩いて西鉄天神バスセンター前から西鉄バスに乗り、220円で福岡タワー南口へ。
 
 壮大にタワーが佇んでいる。中へ入ると、受付で入場料800円を支払う。すると降りてきたエレベーターからぞろぞろと観覧客が出てくる。そうして私が入れ替わりの形でエレベーターに乗り、上昇することになる。しかし他に客はいない。自分ひとり、そしてコンパニオンが一人、エレベータに乗る。どうしたものか、私は女性に限らず見知らぬ人と密室空間に二人きりにされると、心落ち着かず、雑念がおびただしく湧いてきて、ブラジル辺りのくそ甘い菓子を口に放り込んでコーヒーで腑に流し込んでラモスに変身して軽快にリフティングしたくなる病である。要するに酷く気まずいのである。
 それでもコンパニオンの方はマニュアルどおりと云うかタワーの説明を雄弁に発する。エレベーターの上昇の具合と外の景色の説明のタイミングも絶妙だ。
 そうして全長234メートルの最上階に到達する。外の景色も素晴らしい。
 

 そしてこんな高いところに一人で俺は何をしているのだ。まだ今年が始まって二日目ですか。まったく今年も長くなりそうだ、けしからん、などと興が冷め、タワーを降りる。その後、近場にある福岡Yahoo! JAPANドームに移動する。


 一月二日、野球は勿論シーズンオフで、ドームは基本的に営業をしていない。ガラガラで人気がないドーム周辺ってのも乙なもんじゃ、とそそくさと歩く。


巨大ピースサインの人差し指に鷹が止まっている具合である。指がくすぐったいに違いない。


 背後から。このキャラクターは何を訴えたいのだろうか。


 何だか閑散とした空間で一人歩いていると居ても立ってもいられず、ドーム周辺を訳も無く猛然と走り出さざるを得なかった。俺がこうして閑散としたドーム周辺で猛然と走るのも前々から決められていた運命な気がする。

 その後は博多駅に戻り、観光ともいえないほどの徘徊をした。そうして駅構内の吉野家で牛丼大盛りと卵を注文してがっついて、ファミリーマートなんかで夕食を購入してまた同じホテルに泊まり、翌朝、この地を後にする。



 まどろみを抱えながらの明け方の街はどうにもならない寂しさをこみ上げさせる。

 駅構内で「明月堂博多通りもん」などを購入する。一月三日の新幹線。混むだろうな。指定席に座ると、前の女性三人組の一人がご丁寧にも、後ろに席を倒してもよいですか、快く首肯した。駅に着くたびに人が増え、指定席通路内まで自由席券の購入者が溢れて列を作って立っている。ご苦労なことだ。
 新大阪駅に着くと特急に乗り換える。肩掛け鞄と、朝購入した「博多通りもん」と書かれた紙袋を持ち歩いてそそくさと移動する。座席に着くと特段考えることも無く、「自意識」について考えてみる。
 例えば列車内で「しんぶん赤旗」を読んでいたら支持政党がばれる。官能小説をカバーもつけずに読めば性癖も多少ばれる。ラケットを持っていればテニス好きとばれ、ギターケースで音楽好きとばれる。「博多通りもん」の紙袋を持っていると博多に行っていたかが大凡ばれる。ばれるのは何だか嫌である。情報を赤の他人に提供することを気にするというのは現代的な気がする。例えば俺の場合、公共の場で携帯で2ちゃんねるをしないとか、見られたくないメールを開かないとかそういうプチルールがある。開き直ってバンバングロいサイトを公共の場で見まくる精神も悪くはないとは思うのだが、自分はそんな境地は行けまい。赤の他人からの自分という人間のイメージを常に気にすることも一つの気遣いだと思っている。
 何だかよく分からなくなったが自分の性質を必要以上に周りに漏らしたくないという自意識は管理社会が生み出したものなのだろう。昔の人は見知らぬ人と列車で会話をしたと聞く。


 昼過ぎに漸く地元に戻り、駅構内のラーメンチェーン店でラーメン炒飯セットをかっ喰らった。そうして翌々日からの出勤に備えて、この社会に呑み込まれる一年からとりあえずは逃避しつつ、深い眠りに就くのであった。(了)