情緒腐暗態

 ずぼらだ。ぼんやりしすぎなのか、物忘れが酷いというか、物を置いた二秒後にどこに置いたか忘れてしまって書店に車を停めて買い物して戻ってくるときに何処に車を停めたか覚えてなかったり参ったなあ。飯を食べるのが疲れるし、集中力はないし、挙句の果てにはトイレに行って施してタッタタッタとトイレを出た後にじわーっと尿が漏れてくるとか、二十六歳なんですけどもうジジイみたいなことになっているわけで、もうめんどくせえよ。
 めんどくせえなあ、と思いつつも気分転換しながら生きていかなくてはならないわけで、会社帰りにツナギの上にジャンパーを羽織って数百円のズックを履いて書店に寄ったのだけれども、いきなりお洒落なカップルと出くわして陰鬱になって畜生、ああなるべく婦人・ファッション雑誌の類のコーナーは避けようと考えて文藝春秋がやたらと山積みされているコーナーに来てみると、芥川賞作品収録だからって山積みにしやがって、買うと思うなよ、とどうしようもない捻くれ思考が発動してスルーして文庫本コーナーを右往左往する。人とぶつからない様に注意しつつ、立ち読みを開始。何とか平日夜の書店で落ち着き始める。そうしてぱらぱら読むのも面倒なので、以前図書館で読んで目星をつけていた本谷由希子の「生きてるだけで、愛。」と、何となくギャグっぽくて気になっていた村上龍の「走れ!タカハシ」を手にとってさっさとレジに出向く。ブックカバーは?いいです。ブックカバーっていうのは例えば電車とか病院の待合室とかで何を読んでいるかばれないために付けるものなんだけれども、何を読んでいるかばれたくないという小心な感じが厭なので、我輩はブックカバーをつけない。大体、作家の気持ちを考えると病院だろうと電車だろうとプールサイドだろうと堂々と表紙を晒して読んで欲しいはずだ。多分、そうだ。
 で、逆行するけど今日の仕事も汚れた。汚れる度にやってらんねーよ!って思うんだけど、それよりも汚れている割には単純作業ばっかりやってて成長している気がしないのが問題だ。このまま齢を増やし続けて何にも経験しないでどうするつもりよ?でもああ、何か面倒くせいや、とりあえず週末を目指して後の疑問やら不安やらは来週に丸投げ!ってな感じでやっているからちっとも成長しない。だらしがない、ずぼらだ。




生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)

生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)

走れ,タカハシ! (講談社文庫)

走れ,タカハシ! (講談社文庫)