梅雨は悲観的な季節であり、夏は官能的な季節

 今はパソコンの前に向かって加藤諦三の本を読みながらこれを書いている。
 頭の中がぼーっとしている。今に始まったことではない。就職してから、いや、それ以前からぼーっとしているのではなかろうか。膜が張っているというか、張り合いがないというか。やりたいことをやっていない証拠であり、開き直れていない証拠である。何かをしていても、「これはそろそろ飽きるだろうな」とか「ダルいな」くらいにしか思えないことばかりだ。


 それだからAKBグループに興味を持ったことは自分の中では大きなことであった。

 今回、初めてCDを複数枚購入し、握手券、投票権を得た。投票も複数できるし、握手もできる。単純に楽しいのだ。ぐぐたすを開けばすぐにメンバーの日常を目の当たりにできる。実際に公演に行けばまるで現実と地続きとは思えない憧憬の果てが眼前に現れる。
 私は非日常への渇望からAKBグループに嵌ったのだ。むしろ日頃の生きているか死んでいるかもしれない日常の方にこそ現実感が無く、劇場やコンサートの会場にこそ現実感が炸裂しており、私を非日常への渇望から解放させてくれる。そうしてまた次の公演やコンサートや握手会を励みに日常生活へと戻っていく。私にとってAKB48グループは、日常を耐えさせてくれる非日常である。

 「バイキング」に川栄が電話出演していた。凶悪犯罪の被害に遭ったとは思えないほど健気である。ただ、大島涼花小笠原茉由高橋朱里ぐぐたすを見る限り、尋常じゃない現場に遭遇したことに相当ショックを受けていることが分かる。以前、殺傷事件の通り魔の公判を見た時に手を怪我した被害女性が外に出るのも怖くなって、男性が近くにいるのが怖くなったなどと証言していたことを思い出す。大変だろうが、一般人が犯罪被害に遭う時とは違ってファンと云う支えがあるのだからファンの励ましをこの際利用してでも心をケアして欲しい。


 今、無職が暴れる季節である。じめじめしていて厭な季節だ。現状を受け容れられないものが狂気と凶器を持って暴れる時期だ。