「どうで死ぬ身の一踊り」


どうで死ぬ身の一踊り (講談社文庫)

どうで死ぬ身の一踊り (講談社文庫)

(P16-17)
 この世にはその個性がどうしてか人に容れられず、相手を意味なく不愉快にさせたり、陰で首をひねられたりしてしまう、悲しい要素を持って生まれた人がいるが、清造などはまさにそれの典型たる一面があった。元来、人の二倍も三倍も分別をわきまえ、絶対に良識や良俗を踏み外せない性格でありながら、何かどこかが社会一般のあらゆるものとかみ合わない。それが為、その言行の真情は常に曲解され、無闇と軽んじられた偏見がつきまとってくる。一度貼られた悪評価のレッテルはその個性に対してのものだから、終生どころか死後もそいつは剥がれることがない。そうなればもうそれを逆手にとってやり、諦めを強いた自らの心を抱きしめながら、孤独なパフォームを演じてゆくより他はないが、清造の場合は念入りにも生前の恥だけでなく、死にざまでも見事に恥を晒してのけた。あるいはその創作世界の方に、過去のものとは違った評価が定着していたならば、その人格のことは不問に付されるような面もあったと思うが、なぜか清造の創作は現在までに至る、所詮は個々の恣意的好みの累積にしか過ぎぬ、既成の“日本近代文学史”から、申し合わされたようにカヤの外へ置かれ続けている。

(P63-64)
 さてどうしたものかと、それからロビーのベンチに座ったり、喫煙所に行ってみたり、外に煙草を吸いに出たりして、やっと四十分程を潰したが、それだけでもうここで時間を消費してるのがどうにも息苦しくなってくると、これなら無目的に電車にでも乗ってた方がまだましだろう、と云う気になってきた。それで地階の京急の乗り場に降りてみたが、そこでふいと昼飯を食べていないことを思い出し、向かい側にある飲食店をいくつかのぞき込んでみた。が、時分どきともあって、どこの店のテーブルもふさがっている。
 それでまた階上の到着ロビーの方に行き、最初に目についた喫茶店のようなところが比較的すいているのを見るとそこに入り、カレーでも取ろうかと思っていると、直後に何んの団体なのか、若い女も四、五人混じった十数人の中年男の群れが店に入ってきて、私の座ったテーブルの左右を挟むかたちに振り分けて席を占めた。そして辺りをはばからぬ狂躁的な大声で、まだ店員もやって来ぬうちから口々と自分の食べたい物を叫ぶのだが、それらを目にし、耳にすると私はいつもの病的な神経となり、もはや彼らと同じような物を、その近くでひとりぽそぽそ食べる気がしなくなってくる。
 それでビールだけを取って飲み始めたのだが、聞いているとどうも左右の集団は、どこかの商店会の団体らしく、今からどこぞの温泉場に向かうものらしかった。混浴がどうの、宴会の料理がこうの、なぞとも言っている。私は団体旅行とは云え、複数の若い女とそうしたことを共にできる彼らを、片っ端から蹴殺してやりたい程に羨ましかったが、それが心を煽ったものか、ビールを飲む速度も常より余計と増していったようだった。

(P72-74)
 何んでも、そのとき聞かされた父の罪状は、強盗とか警官にも傷を負わせたとか云うものだったが、姉はともかく、私には全く詳しいことは教えてくれなかった。しかしのちに、中学生になった私が図書館で新聞の縮刷版を見てみると、それは強盗の中に姦の文字も入る、ハレンチきわまりないもので、その動機については、「ポルノ映画を見て犯行を思いついた。平凡な日常にうんざりしていた」なぞ、私の為には余りの馬鹿らしさ(被害に遭った人には本当に申し訳ないが)に泣く気も失せるような供述が記されていた。これを見たとき、根がペシミストにできてる私は、この時点でもう自分の将来が殆ど閉ざされたと思わざるを得なかったし、ああ云った夜逃げをしたことも、母が強硬に離婚してのけたことも、至極当然のこととして納得がいった。ついでに言えば、その頃テレビでは土曜日の夜十時だかに、「ウィークエンダー」と云う、いわゆる三面記事を面白おかしく取り上げる番組があったが、いつだったか普段はもっと遅くに勤めから帰宅する母が、私と姉がその番組を眺めていたときに帰ってきてひどく激怒し、スイッチを手荒に切ってしまったことがあった。どうも父の犯した罪は、その番組でどぎつく再現されていたらしく、母にとってのトラウマになっていたようだ。だからいつかその母と叔母がしみじみ洩らしていた、お母さんもいいときに死んだ、云々の述懐も、それらのことを一切知ることなく逝った、老母を思う気持ちとしてむべなるかなであろう。
 祖母が死んでから、その毎年の祥月命日にはそんなかたちで配偶者と死別し、生き別れた二人の娘とその子供が蒲田駅で待ち合わせ、共に墓参し、その日は私たちのアパートに一泊ないし二泊するのが常であった。ちょうど春休みの時期でもあり、母もこのときは勤めを休むのである。孫の中で唯一の男だった私は祖母に最も可愛がられ、私も親より祖母を慕っていたのでこの恒例行事は楽しみであったが、それと同時にこのときは叔母から小遣をもらえる上に、二歳上と一歳下のいとこの姉妹と会えるのも妙にうれしかった。すでに自慰行為を覚えていた私は彼女たちが泊まりに来ることに性的興奮すら感じていた。また、逆に夏休みに福島の彼女らの家に泊まりに行ったときは、その時分から野鄙好色だった私は何んとかその風呂場を覗けないものかと画策し、中途までやりかけたこともあった。確実にバレることがわかっていたから断念したのである。

私小説能登の無名作家に入れ込み続けている。鉄道おたくと清造おたくを混同させると作者は怒るそうだが、周囲から見れば、鉄道おたくも清造おたくも一緒くたではある(別におたくを蔑視しているわけではない。研究熱心であることは清清しい)。
主人公は清造関連に関しては時折、萎縮しつつも常に行動的に所作を施す。ただ、私生活に問題があるようだ。厭世的と云うわけでもなく、鬱憤が溜まれば同居する恋人に躊躇無く当り散らしているような愚男であるが、ただそれらの出来事を醜い後悔として述懐していることで微かに救いようはあるので何とか読める。しかしまあ文章から学ぶべきところは清造に対する積極性、それだけである。
自分の生活を直接結びつける私小説をテーマに執筆するこの作家はこれからも開き直って同テーマでガンガン書き続けるようであるので今後の作品も生温かく見守りたい。
西村賢太 - Wikipedia
藤澤清造 - Wikipedia