がらんどう

日曜日の夕方から久々に「サザエさん症候群」だとかを患っていた。これを患うと生きていること、死んでいることをひたすら考えてしまう。人間は生きている以上未完成な生き物だ。完成された死体より、未完成な生体であり続けるべきだ。完成されたら詰まらない。趣味が必要なのだろうか。仕事などを一切合切忘れられる趣味。とある野球チームを好きになろうと努力しているが、どうなることやら。どこぞのファンになるとかいうのは所詮、洗脳に近いものがある。
思えば、小学生の頃から、休み明け前は憂鬱になるのが恒例であった。夏休み前などは強烈な憂鬱で涙ながらにゴールデン番組を見ていたこともある。
当時は「サザエさん症候群」などという言葉もなかっただろうし、休み明け前に憂鬱になるのは自分一人だけだろうと、他の活発な児童は学校に早く来たがってるに違いないと思っていた。
小学生時分の夏休み明け前の絶望的な気分と比較すれば今の心境はまだ少しマシな方だが、それにしてもたかだか14時半くらいに帰れていたあの頃の方が絶望していたというのが恐ろしい。思えば、当時は一切合切をオブラートに包まず感情を交差させていた連中がマジョリティーの中、寡黙を通すことが多かったわけで、大して好物の出ない給食を食い、マット運動を嫌々やり、算数の宿題を休み時間中になんとか解き、帰りの会の後の掃除を嫌々やってやっと帰れるという状態だった。よく過去を美化したがる連中がいるが、気が狂っても小学校の頃なんぞ戻りたくはない。
どういうわけか社会人の今の方がよほど精神的に楽である(あくまで比較の上でだが)。
今日は隣県で作業をしていると、とある営業所のSさんがいて「疲れたら山で寝ればいい」だのサボりアドバイスを貰った。そうだ、気づかれないようにサボればいいんだと思った。
しかしその後、突然電話があって、K市の機械修理に行くことになった。高速で1時間以上掛かる。パーキングで休んで、津々浦々の土産物をボケーっと見て気力を回復させる。決して購買欲はないのにひたすら見ていた。
月曜日は筋力的にも衰えた物憂い状態なのでゆったりと作業をした。