暑中見舞い申します

 事態は深刻だ。今日の朝飯も思い出せない。
 日の出4:34。朝六時起床。
 午前中、昨日のN市の修理の件はグイド氏がやってくれることとなった。ありがたいことだが、自分の実力不足を感じる。
 今日は他部署が大規模な販促活動をして躍起になる中、こちらはチープなポスターを作り、機械に貼る。しかし皆、よくもまあ会話を楽しんでいるなあと思う。コミュ二ケーション偏差値30を自覚するオレは、誰と喋ってもD判定以下だ。
 販促活動のおこぼれの弁当を貰い、昼飯。午後は逃げるように外回り。一件目の機械は異常がある報告を受けたのだが、全くもって正常に稼動していた。二件目は酷く汚れていて掃除した。軽トラも掃除した。何だかすっきりした。
 日の入り19:13。今日は人気が無く、事務所の戸締りをするというミッションを遂行して十九時半に退勤。
 さて、仕事ネタばかりなので、たまには別の話題。昨日、shioくんがブログで東日本大震災について意見を述べていたので、自分も何か震災について意見を述べようかと思う。
 震災当初は戦慄的に報道される内容に息を呑んでいたのだが、さすがに三ヶ月経つとまあ結局は「対岸の火事」という言葉に納まってしまう。計画停電すら影響のなかった地域に住んでいることもあり、身内が東北にいるわけでもない。結論を言うと、興味がないので意見を述べようがない。しかし、生きる、死ぬというリアリティーについては興味がある。
 ニュースを見ているだけでは、情報が情報をつたって自分の頭に届く頃にはリアリティーがボロボロに溶けている。津波が自身の頭の上から降りかかってくる瞬間にようやくリアルが見えてくるのだろうと思う。けれども被災者が死の間際に感じた3秒のリアルも、オレが被災せずに過ごしたこの3ヵ月の何かもそう違いはないのかもしれない。そもそも感性の鈍っている今の自分の頭の上に津波が襲ってきたところで果たしてリアルを感じるかは不明ではある。
 世の中は常に変化していく。他人の惨劇を尻目に喜劇という名のリアルを惜しげもなく獲りに行くのが人間だ。