虚仮生活(八)

「何か、最近の、御感想を聞かせて下さい。」
「困りました。」
「困りましたでは、私のほうで困ります。何か、聞かせて下さい。」
「人間は、正直でなければならない、と最近つくづく感じます。おろかな感想ですが、きのうも道を歩きながら、つくづくそれを感じました。ごまかそうとするから、生活がむずかしく、ややこしくなるのです。正直に言い、正直に進んで行くと、生活は実に簡単になります。失敗という事が無いのです。失敗というのは、ごまかそうとして、ごまかし切れなかった場合の事を言うのです。それから、無慾ということも大事ですね。慾張ると、どうしても、ちょっと、ごまかしてみたくなりますし、ごまかそうとすると、いろいろ、ややこしくなって、遂(つい)に馬脚をあらわして、つまらない思いをするようになります。わかり切った感想ですが、でも、これだけの事を体得するのに、三十四年かかりました。」
太宰治 (『一問一答』より)

 軽トラは精子のように縦横無尽に走り、山道のパーキング地帯に停まる。 
 昼休み、金輪は携帯電話でインターネットに接続し、メール友達を募るスレッドにアクセスし、19歳のフリーター女にメールするも、二度やり取りした後、一切合切返信が返ってこなくなった。『放流』といういわゆる無言で「てめえには興味が無いバーイ」という表現をされた具合である。こんな携帯電話をピコピコしたくらいで温かみのある人間と接することなぞ簡単にできるわけがない、と金輪は苦笑し、やれやれと弁当を食べ、アイポッドでお笑い芸人のラジオ番組のCDを聴きだした。時折聴こえる下ネタに反応するほど金輪は女体に飢えていた。デリバリーヘルスを利用すべきか、それとも…。金輪は大づかみにポテトを食べ、そうして目的地へと軽トラを射精させる。
 昼過ぎ、金輪は世界遺産が近くにあるTという村に行き、色黒の歳の近い感じの団体職員に「ご苦労さんです」と言われ、「お疲れ様です」と応える。そこでふと思う。『ご苦労さん』は目下の者にいう台詞ではないかと。道端で婆さんが声を掛けてくるときは「お疲れさん」でなく、決まって「ご苦労さん」だ。とどのつまり見下されているのだろうか。いやそんなことどうでもいいと機械を点検し、今日は過ごしやすい気候だなぞ、寝起きからの陰鬱な気分からようやくのんきな気分にシフトした具合である。分からないことを分からないと正直に言えば案外、簡単に物事を教えてもらえ、そうして自身の能力を最大限に発揮させることが求められる仕事と云うものは案外面白いものである。
 帰り、ラーメンチェーン店で食事をしようとしたのであるが、臨時休業であった。そうして金輪はふやけたラーメンのようにふやけていくのであった。