異常の壁

 バカ野郎、やってられんなー。と思うのはテレビ番組内のVTRでグルメ店の料理が紹介され、その後スタジオに同じ料理が運ばれてきて、狂喜して舌鼓を打つB級芸能人をぼんやり眺める土曜の午後、俺はどうかしそうだった。
 それだったらテレビを消して部屋を飛び出し、高い店に行って高い物を食べればいいじゃない、なんてアントワネットなら語りそうだが、飲食欲を満たしたところでそれはどうなの?例えば高級フランス料理を頬張ってゴチにまでなったところで肝心なものが充たされずに疲れて入院する岡村隆史を想像すると分かりやすい気がする。と、大物芸人を比喩に使うのは申し訳ない気もする。
 ともかく強迫観念が出てきたり、やたら音に敏感な状態に陥ったりする不必要な感覚を抜くべく精神病院に行けばいいじゃない、と思ってみたりもするのだが、それはそれで精神科医が完全に自分の感情を理解するなんてことはあり得ないことは経験済みだし、薬だってどこまで効くかも分からないし、自分の心がけ一つで治りそうな気もする。宗教も違う気がする。あーあ、土日をどうしようか、と思ってみても最近のメール着信なんてこないだパンツを売ってくれた女性だけだ。これってやばいんじゃないの?と思いつつ、メールなんて数十年前は無かったわけで、それだけのことで「やばい」だの「やばくない」だの考えるのもどういう神経なの?と思うわけで、しょうがないな、また本でも読もうかと思ったが栞を挟んでいなかったことに気づき、どこまで読んだか分からず、次第にどうでもよくなり本を閉じる。などと無駄な所作を施していると持病の偏頭痛が発症し、徐々に痛みが酷くなってくる。空はこんなにも青いというのに、過ごしやすい気候だというのに、長い鎖にふんじばられているような気分で反吐が出そうな思い。

 とにかく部屋にいても陰々滅々、どうしようもないので性欲が壊滅的に無いというのにシュールな行動をしたがる癖がある私は、「○○と○○を売ってください」と女性にメールをする。するとすぐに「おねがいします!」と返事が来て数十キロ先まで偏頭痛を抱えながらドライブ。現地到着。まだ日は暮れていない。直ぐに現れた女性曰く「ここじゃ周りに人が多いので移動しませんか」などと提案するので近辺をドライブ。ここも人が多いね、今日土曜だからね。あっ、あそこの店の奥の駐車場。大丈夫かな、怖いね。じゃあ脱ぎますね。などとブツを脱ぎだし、はい、と渡され、私も数千円が入った封筒を女性のバッグに入れようとすると、バッグの口から市民病院の薬の包装紙が見える。そこで何か強烈に女性の生活感を感じ取ってしまった私は、ああ、この女性も通院するような不自由さがあったりしながら生活しているんだな、と重々しいセンチメンタルな思いに駆られ、ぐらぐらめまいがしてくる。そうして積極性も覇気もなく、淡々と女性を元の場所に届け、笑顔で女性は去っていった。
 またやることがなくなった私は、いつも走っている公園に向かう。広場から遊歩道へと歩く。日が暮れた頃の公園の遊歩道は人気が無く、居心地がよい。最近走るのをサボっていたため、体力的な問題で走らずに歩くことにする。暗い草木の影でだらだらと歩きながら、これからの生活について考えてみる。確たる将来の目標めいたものも無く、コンビニに売っているでかいプリンを食べられる財力があればいい程度の考えでここまで来てしまったばかりにこんなことになるのだ!、とカラメルソースばりに甘い考えをしてきた自分を叱咤したところでどうしようもない。学生時代からの蓄積が無いのである。そして生活の実感も微かなもので、デリヘルでは抜けたことが一度も無く、交際する女性もおらず、友人すらもいないといったこの状況。けれども、そんな状況であろうとも、壁を突き破る方法を模索せざるを得ない。人が生きるってことは夢を見るってことなのだ。
 八百屋、ラーメン屋、うどん屋、干物屋、弁当屋、眼鏡屋、消費者金融。ざっと頭に浮かんだ商売を思ってみたが、どれも自分の夢ではないような気がする。夢ってなんだ?今更13歳みたいなことを考え出した私は草木に挟まれ暗い照明を浴びて歩きながら煩悶しだす。もしかして夢ってのは女性なのか?金を出して女を抱くことは簡単なことである、金を出さずに女を抱くことは難しいことである。やはり違う気がする。嗚呼、分からぬ。

 私は遊歩道から広場に戻ると、何食わぬ顔でスケートボードに興じる若年者をぼんやり眺めていた。そうして暗がりの澄んだ視界の先にぽっかり夜光虫のように浮かび上がるゴルフ練習場から聞こえてくるインパクト音は、一球ごとに夜を更けさせていった。