自殺より自慰

 新年度になって一週間が経とうとしている。これから五月病がまん延して蒸し暑い季節がやってくるのだろうと何と無く思う。わくわくすることはない。
 二万もあればモデルっぽい女性と性的サービスを受けられるデリヘルがあり、CD・DVD、本などはamazonで事足りる。コンビニに行けばファーストフーズ、和菓子、洋菓子、接着剤、軍手、エロ本、パンティーストッキング、切手、宅配便の送付など何でもできる。外食と言えばマクドや牛丼店で300円あれば事足りる。見逃したスポーツやドラマの名場面も動画投稿サイトで無料でみられることもしばしば。
 コンパクトな世の中だ、と思う。婚活業者もそうだ。コンパクトに人と交際し、振られる形態である。人間関係の蓄積だけはコンパクトにはいかないようだ。婚活業者を利用している連中は真剣だ。伊達に大金を叩いているわけではない。人生のパートナーを選ぼうと血眼な者が多い空間に私は何と無く参加してしまったのだ。自分磨きもしないままに人に出会いを求めることが傲慢であったのだ。
 私は使ったお金に執着しないようにしている。○万円あればあれもこれもできたという「たられば」ほど虚しいものはない。それは自分の運命に対する冒涜である。○万円は溝に棄てられるべく棄てられたのだ。
 人との出会いや別れにも執着しないようにしている。想う者に去られてもまだ想えば虚しさに心を抉られ、怒りや狂いが訪れる。それはとても哀しいことだ。