死なないというだけでは足りない

 阪神巨人戦をテレビで観てぼんやりとしていた。試合は0-0で終わり。たこ焼きスコアだ。7年くらい駄文を積み重ねたヤフージオシティーズが予告も無く規約違反で削除されてて利用停止でワロタ。おそらくあれかな、未成年の殺人犯の実名を書き記していたからだろう。まあいいよ、ただ一切は消えていくものだから。
 昨日NHKのニュースウォッチ9を何と無く見ていると犬が寝たきりの爺さんをぺろぺろと舐めていた。病院でなく自宅で最期を迎えようということで家に戻って犬に歓迎されていた場面である。そしてしばらくシーンが進むと爺さんは呼吸困難になり、救急車で運ばれるもあっさりと死んだ。なんでこんな衝撃的な場面をニュースでやるのか、とは思ったが、人はいつか死ぬものだ。生きている上ではたまにはそういうことを胸に叩きこまなければならない。
 それにしても刺激はやってこないものだ。ナチ親衛隊ともB-29とも無縁だ。北朝鮮の極貧ミサイルなんて危険視する必要もないだろう。毎日交通ルールを守り、律儀に出社し、サラリーを稼ぐ。なんということだろうか。 
 何をやりたいかというと何をやりたいでもない。見えないミサイルの弾道は心の中にぽっかり穴をあけている。春は訪れ、春は去る。夏が訪れ、夏は去る。ただ、生きて、ただ、死ぬ。
 死なないというだけでは足りない。