スポーツ新聞と私

 本日は新聞休刊日である。けれどもスポーツ新聞は年中無休で発刊されている。
 昼休みにスポーツ新聞を買った。スポーツ新聞は大抵が大新聞社の系列である。スポーツ報知は読売新聞社スポーツニッポン毎日新聞社サンケイスポーツ産経新聞社、日刊スポーツは朝日新聞社中日スポーツ中日新聞など。
 選択肢がある中で今日買った新聞は1部130円のスポーツ報知。大抵、読売ジャイアンツに関する事柄が一面になっている。ジャイアンツが勝ったということ、スコア、誰が活躍したか、順位表、それまでの道程なんかが一面で見られる。二面、三面も主にジャイアンツに関する記事、隅っこに他球団の記事。誰が二軍で活躍しているかとか、誰かの怪我の状態はこうだ、といったことが書かれている。はっきり言って選手のそんなことどうでもいいという情報が多い。くだらない一面の日も多い。けれどもこれは「一体感」を演出しているのだろう。ジャイアンツを応援する人々に対して、我々は選手のあらゆる知識を知っている、故に熱狂的巨人ファンである、という意識を根付かせることができる。まあ野球人気の落ちた昨今、競馬ファン競艇ファンや芸能記事ファンなどもいるので巨人ファン以外が買っている場合がほとんどかもしれない。ただ一概に言えるのはスポーツ新聞はスポーツに関する専門的な知識が無くても簡単に読めるということだ。技術論や戦略的な分析が乏しいバカでも読める仕様となっている。逆にいえばスポーツのファンなんて技術的なことや戦略的な知識を知らないバカでもなれる。それに気づいて私はバカだと自覚し、知識を得たいという欲求も起こらないので、野球ファンを辞めた。
 そもそも私はなぜ今日、スポーツ新聞を買ってしまったのだろうか。新聞休刊日ということもあったのだが、やはり雰囲気の問題だろう。作業着を着て狭苦しい車の中で文学小説に触れるのは何か気が引ける。三島由紀夫の「金閣寺」なんかを携行していても、作業着を着て粉塵に塗れた後の昼休みに読む気が失せる。ジャンクな雰囲気を身にまとっていると極めて分かりやすい仕様である、ジャンクな読み物であるスポーツ新聞を欲してしまうようだ。
 スポーツ新聞に人生の指標など隠されているわけがない。読んでも読まなくても全くどうでもいい消耗的な新聞だと思いながら、狭苦しい気分を振りほどこうと読み進めていくも途中で自分自身がバカになっていく(消耗していく)感覚を目の当たりにして読むのを止める。昼休みが終わる。
 勉強をサボるとこういう傾向になるんだよ。