走馬燈その1

中二の夏、俺は卓球部主将に任命された。弱小だった。女子卓球部には個人でそこそこいい成績を修める人間もいたが、男子には皆無。女子部とは犬猿の仲であった。近くのテニスコートで頑張っている女子を見て興奮した。ブルマじゃなく、短パンであったのが悔やまれる。ブルマであると露出部分が下着同様の領域になるのでやはりブルマがよかった。小学校のときは女子はブルマだったので卒業アルバムはおかずにした。さすがに今となっては年季が入っていて無理だが。
部活のない休日は何もしてなかった。友達といえる人間はいたと思うが、休日に遊ぶ友達というのがいない。ゲオとかツタヤとかのレンタルショップの会員証すら持っていなかった。パソコンは中三の梅雨に家に配置されたから、それまで休日は何をやっていたのか思い出せない。図書館にもいっていないし、テレビ見てただけか。当時はまだ今ほど無気力でもないので、プロ野球に夢中できていたからよかったのかもしれない。巨人ファン(中毒)だったので年間130日近くは野球に夢中になってればよかったのだから暇潰しには最適だったと思う。
部活の話に戻る。俺でさえ地区予選で一回戦を突破するかしないかという成績。部員は同学年には十人くらいいたが、全員ひ弱すぎてから他の部活の奴にからかわれることが多かった。後輩にすら呼び捨てよばわりされる。後輩も先輩も荒廃して捨てたものだ。
中二冬。部活がくそだるいのでサボりだす。二ヶ月くらいほとんどサボった。この状態のため、前のキャプテンに怒られたが、情熱も糞もなかった。顧問に退部を迫られてビビッて、とりあえず内申書が怖いので中三の四月から引退するまで一度もサボらずに活動した。
内向的性格だからって、からかってくる女子がクラスに二体いたと思う。狂った俺は秘密理に誰もいない昼休みを見計らって黒板消しをそいつらの机上にたたきまくってチョークの粉だらけにした。昼休み終了後、女子の二体は狂気の沙汰。俺の頭の中で悪魔が笑っていた。
狂ったことといえば、俺の後頭部の刈り上げ部分をいつも触ってくる奴がムカついて、卓球のラケットをケアする缶をそいつの顔面目掛けて全力投球してしまった。失明してなかったからよかった。
中二まで山尾(仮名)という男と仲がよく、放課後もしょっちゅう喋っていたが中三のときに関係が悪化してしまった。
中三のクラスが女子も男子も不良ばかりの冷徹なクラスで誰とも喋らないようにしていたが、修学旅行の班分けとかの時は、不良ばかりのクラスだったので、障害者学級の一体といじめられっ子の一体と親父が漁師(仮)の一体の三体の輩に仕方なく仕方なく仲間に入れてもらった。修学旅行、行くときは列車の中で寝たふり。帰りは本気で寝そうになっていた。初日の奈良の寺で「(ああ、このクラスは最低だ。こいつらと二泊三日はくそみてえだ)」と鬱になっていた感情を今でも覚えている。ホテルで剣道部の不良に絡まれる。サッカー部の奴がフォローしてくれたので逃げることに成功。不良の女子が下着姿でうろついていた。噂ではヤクザとつながりがある女子だったらしいが詳しくは不明。売春婦まるだしだ。浅野という男と漁師の息子と同じホテル部屋だったが三人とも接点があまりないので気まずい感じだった。京都では藩の連中とはぐれた。不良の女子が同じ班だったので俺を勝手に班長にして仕事を任せられっぱなし。三日三晩かけてでもムカつく奴全員殺したかった。修学旅行というのは毎秒ストレスという感じだ。最後のエキスポランドではしゃいだ以外は黒歴史
というか中三自体が黒歴史だ。クラスで孤立したり、前述の三人と仕方なくつるんだりしていたら、中二までの友達にあざ笑われる。あのときほどの屈辱はない。
卒業式は終わったら真っ先に帰った。学校の裏側から出て、カモシカのように猛スピードで帰った。
明日は高校時代の走馬燈を書く予定だが気が変わって早々と海に帰るかもしれない。