休み。やはり、落ち着いた感情にはなれずに、しかも卒論が体たらくで(この男、やる気がないのです。最後にやる気を出したのは多分5年10ヶ月前、高2の1月の試験です。落第が掛かってました)、持病の偏頭痛が発症したためか、悪い思考ばかりが頭を巡り、突然吐き気がする始末です。
事件の詳細などをネットで見てみれば、この世には多数の不幸な者がいることが確かに確認されます。同情します。「悪」に抗議するのは大変な労力を費やすことだと思われます。同情していると、いつかの自分が「悪」に攻撃される、若しくは「悪」自身になりかねないと警鐘を鳴らされていると思えてくるのです(他人の不幸で飯が旨くなるという輩がいるようですが、自分にとってはいつかの自分、又は仮の自分の不幸と思えて、生きることが実に険しいのだと考えさせられ、失望が体につきまとってくるのです。ですから他人の不幸は自分の不幸、といかにも普通ですがそう考えざるを得ません)。
今は自分を「悪」と見立てられず、さりとて、聖人君子の如く「善」なわけでもなく、自身に対する向き合い方がわけが分からず、気だるい(それは晩秋特有のものでもない)喪失感に苛まれている最中です。誰かに打ち明けたいがどう打ち明ければ状況は打破できるのでしょうか。怠惰に苛まれた体を起こし、動けばいいのですが動かないのですこの男。