すいません。馬鹿でまあ

見下されること、よくあるよ、多分。このブログでもそうだろう。こういう感じの人がいるんなら俺も私もまだまだ大丈夫だと精神安定的に閲覧するって人はいるだろう。それでいいと思う。見下される必要があるということにより、生きているということは必要悪だということだ。死ねば見下されずにすむが、必要ともされなくなる。これからも大いに見下されたいね、皮肉でなく。
自己改革をしなければ。とにかく、自分が自分で見上げられる存在にならなければ。それが幸せであろう。しかし、それがナンなのか。
自分は生物学的に男なのだが、どうにも女々しいと言うか(逆に世間の女性は実に雄雄しいかと思われる)、世間知らずでやる気がなくて、細かいことが苦手だが細かいことを気にし、非常にわけわかんなくて。
今年一つ分かったことは人に喜んでもらうって事は金じゃ買えないということだ。市民生活者なりの精一杯な姿をどうにか見せ付けてそれでようやく人間に道化できるわけで。