短編「自慰」

男は何度も止めようと思ったが、ダメであった。街中で美麗な女性を見ると、もうその瞬間に肌の感触が浮かんで、お仕舞いの展開まで考えてしまうのである。
男が汚れたのは十二歳の十二月のことであった。それまで思い浮かぶことの無かった女性の肌の感触がはっきりと頭に浮かび、それにより体が我を失うほどに火照って、その火照りを抑える方法を独自に考えなければならなかった。十二歳の青年には誰もやり方を教えてはくれなかった。
「やめてくれ!」。脳裏に潜むもう一人の自分が高らかに叫んでいる。青年にも自尊心がある。世間に馬鹿にされるような行為は慎みたいと思っていた。これは儚い見栄である。見栄などはあっさりどうでもいいことになり、「やる!」の一点張りで行為に挑む。
青年はイチモツを握り締めた。快楽をより入手するべく動きを考えに考えた。床に擦り付ける行為こそが一番の快楽と信じていた。それは間違っていたのであるが、正式なやり方を知らなかった。青年のやり方は、頭まで布団を被って、不気味に、間抜けに、小さく笑みを浮かべて、時折、わけの分からぬ会話を呟きながら床に擦り付ける。頭の中で女性の肌の感触を作り上げ、肌を撫で回し始める。胸を触り始め、股座を触ったあたりでお仕舞いである。見事なお仕舞いの展開であれば己を鼓舞し、安易なお仕舞いの展開を浮かべた場合は自分の愚かさを貶めるのである。一分後、後片付けを始め、火照りから解き放たれる。
私はいつものように行為を終えて、喫茶店でぼんやりとコーヒーを飲む。そのとき、初めて行為について羞恥するのである。行為に及んだものに真面目な接客をする女性店員、何も言わぬカップとコーヒー。他の客に若い女性の一群でもいればもう私は吐くか、穴蔵に隠れたい気分であった。もっと悪人になろうか。
冬の土曜の午後の喫茶にて、私は平凡なサラリーマンのことを考えた。平凡な生活をしたい、平凡な食事、平凡な性、平凡な「無」を欲したいと考えた。決まりが悪い毒消しの思考である。