忍従

会釈する気すら出ない。すまない、悪気はないんだ。


早朝に手淫をした。この時点でもう今日は駄目だった。
仕事。どこかのトラックの荷台が鈍く銀色に光り、走り去ると共に、心の中に虚しさが霧のように忍び寄った。灰色の空の下、永延に続くガードレールを眺めて目的地に向かうと、もう気力もさほど残されていなかった。昼食の前に手を洗う気力も、眼鏡のレンズを拭く気力も、笑う気力も。
自分の内に篭ってしまうんだ。おどおどして、それが当たり前になってしまったんだ。こうして恐縮し、卑下し、世の中をワニの巣みたいに捉えて、人間をワニのように怯えてしまうのだ。
ワニたちは「この低脳が」という意識を様々な形で表現して脅しにくるのだ。羞恥や恐怖を捨てるにはこのワニたちを間抜けなロバと思うしかない。そうするとまずは自分が間抜けなロバにならなければならない。


仕事帰り、カレー屋でカレーを食べたがカレーの味しかしなかった。近くのコンビニに寄ると、店前で我が母校の学生達が飲み食いし、屯していた。黒い学生服を着た者が夕闇で飲食している様はカラスのようだった(悪気はないんだ。しかし、良い気もしないんだ。すまない。高校卒業後、二年位してから母校の学生を眺めていたときと、今とは違う。かつては母校の学生を見る度に、高校生活を朗らかそうに営む者に対して、その者の一時期を自身が過ごした覚えがないという思いにより狼狽したのだが、今となっては彼らにはもう無感情だ。どうでもいいのだ。校舎も新しくなっており、もう私が過ごした旧校舎は憂鬱な思い出と共にどこかに消え去っていったことにしておこう。過去なんてものはカラスの抜けた羽根のように果敢無いものだ)。


カラスは飛び去っていったが、虚しさは消えない。
間抜けなロバは会釈する気すら出ない。すまない、悪気はない。