有名世界と無名世界

 二十五歳四ヶ月の金輪(こんりん)は貴重な休日をまたしても自慰的生活に充てていた。
 だらだらと起き、とりあえず朝刊を読むと、地元国立大学の合格発表の記事があり、高校入試の問題なぞも載っており受験期の混沌さを感じざるを得ない。大学の記事は無視し、高校入試の問題なぞを読んでいると、確かに中学三年までは人並み以上の学力はあったと虚しく自負している金輪ではあったが、日頃忘却が高じている彼にとっては高校入試程度の問題も年々解ける問題が減っているようである。
 金輪は「文藝春秋」を買いに出かける以外は一日部屋に篭り、度々他人に指摘される猫背に拍車を掛けるようにだらだらとした姿勢で小説なぞを読んでいた。
 やがて小説を読み終えた金輪は暇潰しにマメブロだかアメブロだかの芸能人なる者のブログでも読んで自身のブログの人気向上に役立てるスキルを模索しようと云う欲を掻いた行動に出るわけである。
 ざっと上位のアイドルめいた人間の記事なぞを読むと、やれ「歯医者に行きたい」やら、衣装の写真一枚だけで適当な短文と合わせただけの記事やら、今日は仕事でどこぞへ行ったというだけのどうでも記事やらで三桁、四桁のコメント数を獲得しているのである。そしてコメントを見れば、これもまた薄気味悪く、ほとんどがその記事に対する賞賛である。華やかと自負する芸能人がこうしたバカ面下げて賞賛する連中のコメント数に嬉々とし、改めて自らの充実ぶりを再認識する心理は簡単に読み取れた。
 金輪はこれらと対比し、たとえ頑張って何十行の記事を書いても一つもコメントを貰えない事が相場である現状を憂いても見たが、しかし考えてみれば至極簡単に自慰の標的にされる危険味を帯びた立ち位置にいる有名人なのだから大量の空の賞賛に嬉々とするのもまた至極当然なのだと妙に納得することに落ち着いた。
 などと芸能人のブログで虚しく思案した後、日頃小心が高じている金輪は他人のブログにコメントを残すとなると、白昼堂々銀行強盗でもするかのような気分に陥るほどで、滅多にしていないことにも気づいた。他人と交流することの怖さというものは娑婆でもネット上でも同じくしてあるようで、常に受身の姿勢であることが自身の人生を謳歌しきれていない原因であるとも気づいた。
 誰も相手にしなければ、誰にも相手にされないというだけであり、もっと真剣に将来の構想をどうにも考えざるを得ない状況であることを確信した金輪ではあったが、結局今日一日怠けていたのであった。