虚仮生活(二)

君のような秀才にはわかるまいが、「自分の生きていることが、人に迷惑をかける。僕は余計者だ」という意識ほどつらい思いは世の中に無い。  
太宰治パンドラの匣」より)

 もう入社から丸二年が経とうとしているのに、仕事で未だにボルト一本締めることですら四苦八苦することもある金輪は、「おめえ阿呆か」なぞと罵られ、どうにもやるせない心境に陥ることがあるそうだが、やはり目標が一つの会社で丸三年は働くことである以上、何とか自らを奮い立たせて日々を送っている。しかしそれでもたまに限界に思うことがあるそうである。
 日々の生活の瞬間瞬間を人一倍適当に過ごしてきた彼は、改めて学生時代に経験すべきことをしなさ過ぎた、とまた無駄な狼狽をするのであるが、塾通いをしてまで必死に勉強をしていた中学三年の時のあの経験は結局何だったのかとふと思い、手記を書き出してみたようである。

手記(二)

 丘の上で友人Mと話す。
「よほどでない限り入塾テストで落とされる奴はいないけど、まあテスト勉強をしておいても損はないよ」
「そうか」
この会話の一年後、中学を卒業する頃には一切合切の関係が途絶えてしまったMに薦められ、私はとある学習塾に行こうとしていた。
 二〇〇〇年三月某日、四月に中学三年になる私は、入塾テストやらを受けに行く。学習塾は新しい建物で、教室内の壁は白くて、机や椅子も綺麗で、黒板やドアが色鮮やかであり、古びた公立中学の教室とは比較にならないくらいの環境であった。自分の他には勉強ができそうな眼鏡の痩せこけた偏屈そうな男が受けに来ており、数日後、計二名が四月の入塾を許可されたわけである。
 四月、正式に塾生となり、教室に足を踏み入れると、何だか窓の外が暗い中授業を受けるというシチュエーションにとても新鮮な気分になる。何よりも最初は様々な見知らぬ連中と机を並べて、見知らぬ教師の授業を聞くことにとても緊張したものである。塾に通うサイクルは火曜日、金曜日の夜七時から九時過ぎまでで、一日二教科の授業を受けるといった具合である。
 教室内には中学一年のときに度々喧嘩をしていた背の低い、色黒で肥えた琢男もいた。彼は自分より一月先に入塾しているのだが、それもやはりMの薦めがあってのことだそうだ。この琢男というのは酷く稚拙な悪戯をする豚、いや、男であり、例えば授業中に自分が前、琢男が後ろの席に座っていると、琢男は人差し指で私の背中をチョンと触れてちょっかいし、私の微弱な反応に愚かしく嬉々としているのである。さらにエスカレートし、この男、いや、豚は人差し指で私の背中に「ちんこ」なぞという下品極まりない文字をなぞってくる次第である。これに痺れを切らした私は休み時間になってから、肥え拡がった琢男の頬を容赦なく激しく平手打ちする。そうすると「なにすんだ!」と琢男は醜く反抗の態度を示し、こちらの頭を肉付きの手で叩いてきたりし、醜い喧嘩の火は濁った煙を帯びながら無様に燃え出す羽目になったわけである。こうしたことは中学一年の時に多々あった。
 そして塾で最初の授業を受けようかという授業前の空き時間に、琢男がこちらに対して以前と同じようにからかってくるため、ちょっとした小競り合いになり、それはいいのだが、それを周りで冷徹に眺めてくる顔見知りの女子を含む他の塾生の視線に私は嫌気が差し、「見世物じゃねえ」なぞと軽い気持ちで唱えたら、それ以降M以外は誰も私と琢男には視線を送らず、誰も二人には寄り付かなくなったという最悪のスタートを切った具合である。
 最初の理科の授業を受けていると、理科はどうにも所謂体育会系の講師が担当で、その時眠気が高じていた私は、猫背で虚ろにテキストを眺めていると「おい、金輪!眠いのか!大丈夫か!」といきなり目の覚めるような叱咤を受けた具合である。後々、この教師は度々寝ている者に怒鳴り散らし、やる気のない者は今すぐ出てけ!とヒステリックに叫んでいたものである。授業では問題を出し、問題が出来た者は手を上げろといい、自分が解けない中、皆どんどん手を挙げ、どうも県内一、二位の上位校を志望とする塾生が多いせいか、普段校庭で爆竹を鳴らしたり、上半身裸で自転車で廊下を行き来する意味不明な不良に囲まれた公立中学の環境とは全く違うことを肌に感じたものである。
 国語の講師は女を捨てたような女で、丸眼鏡にぼさぼさの髪を束ねて肥えた体をゆっさゆっさと揺らしているような講師であった。講師は実体験談を度々漏らすのだが、大学受験の際には一切の娯楽を廃し、志望校に合格したと豪語しており、合格後には溜めて置いた漫画雑誌を荒れ狂うように読んだと述べている。ハッキリとした物言いで授業を進め、「作文では字数を稼ぐために全て平仮名で書け」などと云うので、その指導を真に受けた純粋無垢な私は、実際に学校のテストの作文を全て平仮名で書き、大幅な減点を喰らった次第である。他の塾生に聞くと、「全部平仮名で書いていいわけないじゃない。真に受けるなよ」なぞと冷徹なことを云ってくるので、正直者は馬鹿を見るを地で実行した具合であったことを悟り、デヴ講師が情報弱者だったのか、自分が情報弱者だったのか、その両方だろうが、ともかく騙されたことに対し「(デヴてめえ)」などと心中恨み節を連ねながらその後の国語の授業を受講した具合である。
 六月になると新たな女子の塾生がやって来て私の隣の席に座ることとなった。ジーンズによくオレンジのTシャツを着て、グラマーな体型で長髪で時折眼鏡を掛けており、私を欲情させるには十分であった。もう名前も顔も覚えてはいないが、その時の欲情具合だけは覚えている。ジーンズの膨れ具合から尻が大きいことを悟り、Tシャツの膨れ具合から胸も大きいのを悟り、真横で授業を受けていると変態妄想に拍車を掛けざるを得なくなった。つくづくこのオレンジ女子の体を舐め回したいと思い、手淫全盛期の私は部屋に帰ってから自らを汚さざるを得なかった次第である。
 ある日、塾に行くと、そのオレンジ女子が来ておらず、その次の塾の日、オレンジ女子は講師になぜ休んだのか詰め寄られ、「クラスメートの男子が自殺して…お通夜でした…」などとどうにも暗い心境を吐露するのである。横でそりゃ大変だなあと何となく思いながらも、日頃から慎みや考慮の欠如が高じていた私はここぞとばかりにその晩、その哀しみに暮れたオレンジ女子で変態妄想することとなる。まずバケツの水を浴びせて、オレンジのTシャツを水浸しにし、より濃度の濃い色に仕上げ、その上から胸を揉みしだく様を思い浮かべて擦り続ける具合である。そこに突如として褐色の塊が現れる。琢男である。妄想にバグは付き物で、全く出てきてほしくない者が脳内に突如現れたりすることは多々ある。仕方なく琢男に強烈な平手打ちを喰らわせ、「(豚野郎出てけ)」などと妄想の中で怒鳴り散らし、脳内から追いやろうとするが、なかなか出て行かない。仕方なく、放って置いてオレンジ女子の妄想を続ける。Tシャツを脱がし、胸や尻に顔を埋める様を妄想し、そうして精を放つ。
 精を放った瞬間からこの日は普段以上の強烈な悔恨と圧倒的な自己嫌悪を味わい、二時間ほどは自分ほど世の中に余計な者はいないという念に囚われ、自分は今後一切立ち直れないのではないかという思いになる。しかしながら、また次の塾の日になると、あっけらかんと欲情しだすという、その頃の私は酷く始末の悪い色餓鬼であった。
 結局、その後夏期講習や冬期講習などもしっかり受け、塾のおかげもあってか無事志望校に合格したのではあるが、高校入学後は残念な学生生活を送ることとなり、塾通いの努力は泡沫の如く消えたと云っても過言ではない。
 先日、学習塾があった場所周辺を徘徊していたら、学習塾はがらんどうとなった建物に変わり果てており、テナント募集の紙が貼られていた。暗闇の中、その近くを流れる川の遊歩道をひたひたと歩き、あの時の塾の思いを張り巡らすも、すぐ近くに自分の通っていた高校もあるので、そちらの鬱屈した事態を思い起こす羽目になり、学習塾の記憶はさらに遠く果ててしまうこととなる具合であった。