トランシルヴァニア

 時事。「石川の保守的でおとなしい県民性が関係しているんですかねえ」。行かないよ、だってデリヘル利用した方がいいじゃん。


 朝から会議。はあかったりい。一度決めたことは最後までやりとおしましょうとのこと。その通りです、自分の人生。
 昼、高校の同級生、K鬼から帰省するとのメールが来る。読んでいたスポーツ新聞に写るグラビアアイドルを写メっておどけた返信する。そうするとふざけた返信をされる。三十代以上の年増好きとは話が合わん。
 そうしてぼんやりと新聞の求人欄を眺める。「新しい年は当社から、作業員急募、入寮者募集、土工、土工、新聞販売店、大工、型枠、土木解体、土工、土工、雑工、とび工」(こんなのばかり)。「震災復興に力を!作業はめちゃくちゃ楽な仕事です、からだ一つで大丈夫」(嘘つけ)。
 午後、田舎道、屋根付きのバス停に男と女の学生が一人ずつ。男が立って、女が座っている。知り合いでもないようで、ある程度の距離を置いて見知らぬ二人が佇む様は可憐な風情のように思えた。
 昼下がり、電話が入って数分後に高速を疾走していた。四十分掛けて世界遺産のある某村へ行って修理を施すも、誰からも褒められず。田舎の団体職員って内輪でわいわいやるのが好きで、十七時になったら一気に皆帰るんだな、などと思う。
 帰りの山道は凍っていた。黙々と運転していると、誰かがどこかで見ていやしないかと変な気持ちになる。誰もいない、なぜここでこうして運転しているのか、ここはどこなのか、自分、自分の意識というもの、そして世界というものが、焦点を外れて泳ぎ出して行くような感じが不定期に月に数回訪れる。これは小学生の頃から、いやもっと以前からたびたび訪れる寂寥感のようなもの。
 そうして、うむ、と気合を入れる。今が一番あぶないのだ。頭がわるいから、なんにもわからないのだ。ただ、いままで、ばかな失敗ばかりやって来たから、車の運転だけは失敗してはならない。運転を、人生をなまけては、いけない。
 運転しながらオリジナリティとは何ぞやを考える。「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」。漱石の一文が思い浮かぶと胃の具合がまた悪くなった。ジャンパー姿の痩せた青年は、山を越えると人生に何の華もいらないと開き直る。帰社、退勤、一週間お疲れ。