その違和感と新鮮さ

 第148回芥川賞黒田夏子氏の「abさんご」に決定した。作品中に「」がなく、指示語や固有代名詞が そぎ落とされ、ひらがなが多用される、意図的に記述の起伏をなだらかに、輪郭をおぼろげにされた文章の中、視点人物の淡い思念が幾度となく像を結ぶ。冒頭。

 aというがっこうとbというがっこうのどちらにいくのかと,会うおとなたちのくちぐちにきいた百にちほどがあったが,きかれた小児はちょうどその町を離れていくところだったから,aにもbにもついにむえんだった.その,まよわれることのなかった道の枝を,半せいきしてゆめの中で示されなおした者は,見あげたことのなかったてんじょう,ふんだことのなかったゆか,出あわなかった小児たちのかおのないかおを見さだめようとして,すこしあせり,それからとてもくつろいだ.そこからぜんぶをやりなおせるとかんじることのこのうえない軽さのうちへ,どちらでもないべつの町の初等教育からたどりはじめた長い日月のはてにたゆたい目ざめた者に,みゃくらくもなくあふれよせる野生の小禽たちのよびかわしがある.


 ある部分において普通の言葉を平仮名に変えることでテンションや情景をがらっと変える効果があるというのは知っていたけれど、最初から最後まで平仮名のオンパレードの作品は珍しい。慣れないからとっかかりが空虚な絵空事の文章が延々と続くような感じがして苦しんだことは否めなかったが、徐々に日本の「言葉」の素直さというものが頭に染み付いてくる。幼少時の「言葉」を初めて知ったときの昂揚感が甦るような感じを覚える。齢の離れた親子と家政婦の錯雑な生活ぶりから日本の「言葉」を意識させられる作品である。