川崎の事件

サンジャポで太田が

「今、自分て死んでもいいって思っている人は、もうちょっと先に、それ(生きがい)を見つける。きっかけさえあればって思うんだよね。すごい発見ができる」

と言ってたけど、まあそうだねと思う。

私自身、高校時代は友人も学力もなく、死にたいほどしんどかった。生きがいなんてのは卒業する妄想をすることしかなかった。

 

卒業しても、大人になってもムシャクシャすることは多い。ロバートデニーロの「タクシードライバー」のDVDを数年前まで持っていて数十回見た。孤独な青年トラビスが女にフラれ、「とりあえず外に飛び出したい」と、大統領暗殺を企て、銃を購入し、肉体改造、モヒカンとなるが、実行できず、娼婦の取り巻きのポン引きを殺害するが、自分は死ねず、なぜか英雄となる。

 

結局、私はトラビスにはなれなかった。無理矢理楽しいことを見いだし、何とか活きている。何でもいい、ダイエットでもグルメでも小さな生きがいを見つければ何とかなる。

 

別に働かなくてもいい。ひきこもり問題において最も重要なことはひきこもりが自分を自分で否定しないことだ。

肯定すればいい。

街を運転して人を轢き殺す心配もない、電車で痴漢の冤罪被害もない、キャッチセールスにも引っ掛からない。ひきこもりは善だ。

コメンテーターの「ひきこもりは犯罪予備軍」という言葉は外に出ている人間の驕りで、人間の弱さを理解していない無知の発露に過ぎない。

「一人で死ね」という言葉は暴力でしかない。通り魔は堂々と否定すればよいが、自殺を肯定するべきではない。

小学生のうちから高い教育を受けている人もいれば、50過ぎてひきこもりがいる世の中、それでいいのだ。様々な人がいて、それでいいのだ。

 

つまらぬ比較で劣等感を感じ、いつまでたっても何も変わらない自分に嫌気が刺して人を刺して自分を刺しても何も変わらねーよ。