春、この弛緩した空気が苦手である。暖かな陽気に促され、緩慢な動きをする老人たちは外へ飛び出し、徒歩で、自転車で、彼方此方から筍のように飛び出してくる。自動車事故が多い四月。弛緩は、破滅と隣り合わせである。

 

 相も変わらず、とある混合物の営業(見習い)を続ける私であるが、進歩もなく、やる気もなく、頭の中に膜が張っているようで何の張り合いもなく、これも一種の破滅へと通ずる道のりを歩んでいる気がしてならない。

 

 自分は変なところを歩いているようだ。自分が歩くはずではなかった道を歩いていると、虚しい気持ちに捕らえられることがある。

 そして毎日滑って転ぶ。生半可な気持ちで歩けば足を滑らし、泥にまみれる。

だがその様子を誰も見ていない。立ち上がって進みもせず、引き返しもせず呆然としている。

 疲労で得られる旨い飯も喰えず、身の置き所を失い、自尊心を傷つけられた。うろうろ車で走り回り、インターネットカフェで金銭を浪費した。

 百年後に死んでるとはいえ、もう既に死んでいる感覚を持たせられるとは。実につまらない思いで生きている気がしてならない。