卒業シーズン

大人になると卒業することはない。
転職もせず、社内人事異動もないので、何年も同じ同僚と過ごして、何の情緒もない。

学生時代の卒業式の場というのはもうこの人たちとは一生会わないんだな、という情緒があった。実際にその後全く会うことはないし、会いたいとも思わない。
甲本ヒロトも言っていたがクラスメートなんて、たまたま電車に乗り合わせたメンバーみたいなもので、たまたま同じ車両に乗って三年間ガタンゴトン揺られて停車してバラバラと降りるようなものだ。そうしてまた新たな電車に乗り込むことになる。
嫌ならさっさと乗り換えればいいが、結局は電車に乗らなければまともに生きていけない。ほとんどの人間は強制されてかろうじてまともであり、強制からの解放や自由を求める人間はバカなユーチューバーになっていたりする。


自由、解放で思い出した。私は、前述した悲惨な高校時代や労働者となった今を俯瞰で見ると、人間はどのような状況下でも楽園を見つけることができるとしみじみ思う。
尤も高校時代の楽園はマスターベーションに勤しんでいたことだけである。その内容の一つは贔屓のJKのパンツになる夢想をし、授業中もJKの股や尻を囲み、登校時も下校時もピタリと密着するという夢想である。私は性交をする夢想はしない。
人間でいることでの精神的負担と緊張が不要であると思うからだ。江戸川乱歩の「人間椅子」のように生身の人間が椅子になろうとする物語は苦痛でしかなかった。