どうでもいい事 たくさんかかえて

書店に入る。取りたい本の棚の前に人がいると回避する。プチストレス。強靭な人権という権利を抱えた生物が目の前にいりゃそりゃそれだけで疲れる。
金原氏の「憂鬱たち」を立ち読み。「憂鬱」という単語は時に打算としか思えないことがある。読んで数行で「クリトリス」という単語。単語一つのイメージを浮かべるときもあれば、一切浮かべずに読み進めるときもあるが、最近は鉛筆書きみたいな適当なイメージをして読んでいる。あらゆる文学に性器は付きモノだ、とあっさり本を閉じた。
小学校時代にとある芸人のエッセイを読んで思ったことがある。こんなひょうきんな顔した人がこんな複雑なことを考えているのかと。その後、徐々に世の中の大多数の大人は見た目によらずかなり複雑であると気付いていった。これは卑屈になる前兆だ。
それから青二才の自分は意見を持ち出したが、どうやらそれは自分の気持ちと離れた偽物だと気付いた。そして自分が複雑になったと自覚した。結果、卑屈である。
とある文庫本を買う。
「カバーお掛けしますか」と聞かれると『包茎』をイメージする癖。カバーを皮と混同させた思考になっているんだろうか。現象や単語と全く関係ないイメージが浮かび上がるのは誰にでもあることだろうが、それにしてもこれはだれにも抗議ができない癖だ。