カウンター席という名の魔物

konrinzai2010-09-01

飯屋に入った際、図のように空席が客と客とに挟まれている席しかなく、しかも客と客が一組も並んでいないときは割って席に座るのに躊躇する。客が殺伐としたガテン系の連中ばかりなら尚更だ(いや、それよりも性質が悪いのが滞在時間と騒音の多い子連れの親子だがカウンター席ではこのケースは希少なので省く)。
少しでも空間を多く利用して食事をしたいのが自分の願いであり、祈りである。
それを念頭に考えると食い終わりかけてる客の隣に行けば、空間を入手できるとも思うのだが、そもそも客の食い終わりなんか予測するのもどうかと思うし、案外に難しい。大体、後から巨漢の客がやってくればあっさり空間入手計画は砂上の城に終わる。昼飯時の両端客無し状態なんて夢のまた夢。
図のケースでは均等な空間を空けて席に座る、世の中で横行しているバランス派連中により出来上がった空間だ。ここで注意したいのは世の中はバランス派の人間だけではないということ。たとえば入り口手前から「人間、空席、空席」という席順なら多くは右の空席に座るだろう。しかし左の空席に座る人間も少なからず存在する。これはもう、入り口に近い席に座る派か気まぐれ派のどちらかの派閥の人間に限られる。世の中は様々な派閥があることを理解しておかなければならない。そうでなければより殺伐となるだろう。
無事、カウンター席に着いたとしてもまだ油断ならない。調味料、ティッシュ、箸が自分の前でなく、隣の席の前にあるときだ(大体、店では二つの席に一つの調味料、ティッシュ箱を設置する店が多い)。これも面倒なことで隣に人間がいる場合はいちいち腕が隣の人間の食器などに当たらぬよう配慮し、調味料を入手しなければならない。その所作が面倒なために調味料抜きで食べることもしばしばである。
他には牛丼屋に来たというのに隣でカレーを食べられると少しカレーを注文しようかという気が働くこと。肝心なのはいつも自分が注文すると決めて注文する、ただそれだけだっ…!耳を傾けるべきは他人の注文じゃなくて自分…オレ自身の声、信じるべきはオレの力…!オレが今ここでこうして座って注文するその力、その力を軽視して心の拠り所を他に求めることがつまり弱いってこと。
矜持を保って予定通り牛丼を頼む。この流されない意識こそが現代日本では必須である。


とどのつまりカウンター席には確証など何もない。ちょっとした気まぐれで環境は激化する。