キンヨウビ

軽トラックにはオーディオが搭載されていない。わざわざ会社の車に取り付ける気力もないので(けれども便宜上、カーナビだけは取り付けている。自腹で買った)、ラジオも音楽も何も聴かず運転している。そうすると長距離を運転するときなどは妄想にひた走る。
前を走っている車を見てみる。ナンバープレートは「12-34」。ここが妄想の始点である。
貧しい12歳の睦は先月分の給食費を払えないでいた。睦のオヤジは饅頭屋であったが、8年前、とある小学校の卒業式に仕出す紅白饅頭の餡を作った際、あまりにも大量だったが故に冷蔵庫に入りきらない餡を床に放置した。数日後、33人の卒業生が下痢や発熱に襲われた。サルモネラ食中毒であった。原因は床に放置した餡にネズミが噛り付いたことによる汚染である。睦のオヤジの店は廃業した。
睦のオヤジは、その後、酒に溺れた。ある朝、オヤジが泥酔している所を同級生に見られた。あいつのオヤジが倒れていた、という噂話を間接的に耳にした。酒びたりのオヤジに恥じるわけでもなく、同級生の配慮の無さに苛立っていたわけでもなく、もうどうでもよかった。睦は今日もスーパーでしなびたフライドポテトを買って帰った。
睦はある日の昼、先月分の給食費を払っていなかった罪悪から給食を食べるのを我慢していた。同級生はそんな睦を見てみぬふりをし、和気藹々とえびピラフ、キャロットスープ、酢豚を平らげていた。
「食べてもいいのよ」
そう声を掛けて来たのは34歳の女の担任、美枝である。がに股にフリルのスカートがよく似合う。
睦は腹が減っていた。罪悪感より勝るものは空腹感であった。このまま5時限目に突入しても腹が減って集中できない。「はい」。美枝の声にあっさり屈服する形で涙を浮かべながらピラフを頬張る。
終わりの会が終わり、美枝が話しかけてきた。「ちょっと後で職員室に来てね」。給食費のことだろうと思った。睦は宿題の出された漢字と算数のドリルをランドセルから取り出しやすいように、先に教科書・ノート類をランドセル内に積み重ね、その上にドリルを置いた。リコーダーの練習はまた今度でいいだろう、と机の中に置いていくことにした。睦は黒いランドセルをしょった。
職員室の中に入るときの独特の緊張感、あれは何だろう。でも入ってしばらくすれば問題ない。先生たちがヤクルトを飲んでいたり、世間話をしている様子がどうにも滑稽に見える。
「先生、話ってなんですか」
睦はわざとあっけらかんとした口調で述べた。
「睦くん、あのねえ、給食費を払えないのなら体で払ってほしいの」


妄想を止めた。軽トラのフロントガラスに雫が付いたことがキッカケだ。今日の天気は晴れだと思っていたのにこれじゃあどうなるか分からない。機械の点検場所にたどり着くまでの道中、私はそんなことを考えている。
点検を一箇所終えると近くの営業所に寄る。息子にとある在京球団のプロ野球選手がいる人がいる営業所だ。そこでは太郎丸師匠に久々に会ったので挨拶。相変わらずな感じで何よりである。
午後に二箇所回り今日は終了。明日は束の間の休息日で、明後日からまた仕事である。