1999 その一


サザエさん症候群なんてものはもはや存在しない。年休100日ちょっとの社会人になって所帯を持ってしまえば休日は単なる免業に過ぎず、全曜日が月曜日の気分だ。
日本人男性の平均寿命81.47歳に向かってただひたすらに、義勇軍並に忠実にカレンダーの数字を毎日塗り潰していく。



小学生の頃、既に生きているのがしんどかった。おとなしい性格の俺はほとんど喋らずに登校から下校の時間を過ごすこともあった。
中学生になり、少しは変わった。
何も明るく元気な人間を演じる必要はない。場の空気を読んで周囲の人間に最低限の接触を図れば事足りるのだ。もともと暗くて世の中に興味がない俺は、生きるためにユーモアを頭に詰め込み、仕方なく世の中を気にして生きていくことにした。それが中1から中2であった1999年であった。



本でもブログでも自分と似たような、同族の人間がいるという発見は格別である。後に太宰治の「人間失格」を読むまでそんな発見が全くなかった中学生の頃はよく生きていたと思う。
今思えばテレビに依存し過ぎていた。巨人ファンだったので巨人が勝てばそれでいいという精神、バラエティ番組を見て面白ければ学校のくだらないことを忘れられる単純化された精神が自分を生きやすくさせていた。ネットがさほど普及しておらず、調べものは書店か図書館、テレビを点ければ今より過激なバラエティ、ナイター中継、スポーツ紙一面は毎日巨人。1999年は自分も世の中も単一化されていた最後の時代だろう。



中学では部活動をしていた。
とある球技系の部活であるが、入部直後から筋トレが辛く、夕方になんでこんな部活に入ったのかと嘆いた。
しごかれていた中1の時はとにかくしごく後輩が欲しいと思っていたが、いざ中2となったら生意気な後輩ばかりができた。しごくしごかないの上下関係を無くし、親しみやすい関係を構築したが後輩は根本的に俺を舐めていた。
また女子部は男子部よりレベルが高く、一度練習試合して負けたことがある。女子に負けるという経験はマゾ的に興奮するため、俺はその女子に負けた経験でオナニーをした。



初めてエロ本を見たのは中2の部活帰り。八重樫(仮名)が兄貴のエロ本をくすねて持ってきた。
ページを見るとハゲオヤジがOLに股関をふきんで拭いてもらっている。欲情できず、そのハゲオヤジの汚ないイチモツに萎えた。
その頃はネプチューンの「おネプ」のネプ投げにお世話になった。原田泰造が女子大生を投げてパンツを見られるというのだが、途中、盗撮を助長させるとかでコーナーが中止になってしまった。規制の走りであった。中学生時分からすると、女子大生のパンツはとんでもないエロスであり、「ネプ投げ」の終焉には嘆き哀しんだ。
オナニーはほぼ毎日していた。小学校の卒業アルバムのブルマ姿の同級生でしたり、女子の体育の授業のハーフパンツを思い出してやった。
教室では、同級生の女子生徒がそれぞれどんな胸でどんな股をしてどんな下着を履いているのだろうか、という妄想だけで生きていた。毎日、出席番号順にとんでもない醜女を除いて日替わりで違う女子のパンティをごはんに載っけて食べてみたいなどと夢想していた。
現実、女子は常に体育用の忌々しい紺のハーフパンツを履いており、パンチラすら見れずに時を過ごした。同級生の女子と目を見て話すこともほとんどなかった。
性欲なぞ無ければ女子などというのは酷くつまらないことでもことあるごとに集団で騒ぎだす、けたたましいカラスのような存在でしかなかった。