「好きなお鍋」

すき焼き鍋にとり鍋にチゲ鍋に闇鍋。あらゆる鍋は複数人で食べることが主流とされている。鍋が『親和』の象徴であることは明らかである。
不況下にあえぎ続ける今だからこそ、昔ながらの鍋を囲っての団欒を求める人も少なくはない。何を食べるではなく、何を感じて食べるかが重宝されているようだ。
これまでの実人生において私は鍋をあまり重宝してこなかった。「鍋」。この名称が好きでなかった。器具の名称が料理名になっていることへの違和感(違和感という言葉を知らなかった昔は「変な感じ」という感覚)。「カレー」、「ハンバーグ」といった横文字に比べ聞き劣りした名称に思えた。そして鍋はルールや仕来りを覚えなければならないという強迫観念があり、食生活では個食が多く、縁遠い存在であった。
好きなお鍋は今はない。無意志無感動では鍋を突くこともできなさそうだ。態度を改めて今後、鍋に向き合いたいと思う。