新聞配達

 18歳の夏休みは暇でどうかしそうな状況にあった。一体、同級生はどこでどうして日々の充実を計っているのだろうか。それにしても自分の生き方には到底、自信が持てない、などと憂いているわけで。一人暮らしで外向的でないのに長期休暇ときたら、もう危ない状況である。ちょっと危ないなと思っていたとしたらそれはもう相当危ないのである。
 そんなわけでアルバイトなぞしてみるか、と軽い気持ちで応募することにした。最初に応募したのは確かダイ○ーの品だしだったのだが、応接間のようなところで簡単な計算問題をやらされ、結果、若い割にはあんまりだね、という配慮の無い指摘をされて、やりたい職種欄には「レジ×」、「鮮魚×」、「野菜×」、「品出○」と品出以外一切やる気なしという記入をしたものだから、こいつは愚にも付かないと思われたのか、後日淡々と郵便受けに履歴書が戻ってきた。仕方なく写真だけ剥がして淡々と破り捨てた。それでは誰でも採用しそうな新聞配達なら何とかなるだろうと思い、近くの販売店に電話を掛けてみる。場所を確認し、販売店まで自転車を漕ぐも、いつの間にか通り過ぎた気がして、道路上を往復して見つけると何度も通過した道路沿いにある販売店で、店の人も中から見ていたのか苦笑いであった。
 店に入るとインク染みた匂いが室内に漂い、朝日新聞鈴木杏だかのポスターが壁に貼ってあり、何とも訝しい気持ちになりながら、責任者とやらと少し話をすると、「じゃあ来週から見習いとして回ってもらおうか」などとあっさりいうので、おやこれは履歴書なんというのは一切要らない具合で呆気なく採用が決まったようだ、と大した喜びもない平らな感情のまま、その日はそのまま帰された。
 翌週、朝四時にJ-PHONEの携帯電話がアラームを発して目を覚ます。まるで真っ暗な室内の小さな電灯を付け、冷蔵庫に入っていたペットボトルのわずかの茶を飲み、どうでもいいジャージを着て、どうにかアパートのドアを開け、新聞販売店まで自転車で行く。走行中、歩道を走ってジョギング中の人間に罵られたので、それ以来、歩道を走行する際は歩行者がいないかを常々確認するようになった。販売店に着くと、どういうわけか散々待たされる。音がしないタイプの秒針の時計がゆっくりと四時半くらいの位置まで進むと眼鏡を掛けた若者が店に現れてあらゆる種類の新聞を戸別に分けだす。自分はどうやら一週間この若眼鏡の見習いということになるようである。しばらくするとバイクで配り終えたと思しきおっさんが店にやってきた。髪の毛がモジャモジャで眼鏡を掛けて、ブツブツと嫌味のようなことを呟いている。失礼ながらいかにもな感じのおっさんで、こちらが挨拶をしようかしまいか考えて会釈をしたが、誰にも目を合わさず瞬時に帰っていった。他にも続々と人がやってくるのだが、態度や言葉遣いが異様に横柄な方が多く、しかし痩せ身な方ばかりで、嗚呼そういう所かと感じ取った。
 若眼鏡は寡黙な男で何も発さず淡々と作業をしている。組み立て作業が終わったらしく自転車で若眼鏡の後ろに着いていくことになった。後から知ったのだが、この若眼鏡は自分より一つ年下で大学受験のため、もうすぐ辞めるだとかいうそうでその引継ぎ役を私ということにしようという具合である。配達は当然一件一件くまなく回るのであるが、何とも静かな夜中に外で走り回る爽快感というのも少なからずあった。初日を終えて、どうも親密めいた仕事仲間なんぞこのバイトでは望めそうに無いことを悟り、一週間を終えて若眼鏡が辞めて、一人で配り回り始めると、夜中に星を見る楽しみを覚えたりもするも、毎日四時起きという現実に疲労は蓄積していく。その年は台風の多い年だったので、新聞を雨風から守る神経を使い、これでもかという悪天候は体力気力を奪い続けていった。そしてとうとう携帯のアラームや着信音ですら気づかないほどに深い眠りに就き、朝起きると六時と云う完全なる失態を二度ほど犯し、店長にフル謝罪し、フルスピードで配達をやりおおす。そんな状況でも習慣化していた持ち出し厳禁の余ったスポーツ紙を毟り取って家路に着く中、「やってられっかこんな底辺業!」と寝不足で脳がどうもダメージを受けているらしく、発狂染みたように(心の中で)叫びだし、アパートに帰ってすぐ寝ると学校の午前の中国語の講義を寝過ごして出れず、休みが休刊日のみでこれはもうだめだと、バイトの限界点を悟り、辞めることにした。「えっ、もう辞めんの?」と責任者からは言われたが、人間には事情があるのだ。しかしながら店側にも事情があって引継ぎやらなにやらがあって辞めるといった日から二週間は続けなければならない。辞める前一週間は気温が零度前後の中、厭世的な気分に満ち溢れ、霊威が宿ったかの如く心が叫びながら配っていたようである。そして最終日が終了した朝はセブンイレブンの肉まんを食べてようやく憑依は解けたようで、その後は新聞配達のカブの音を聞くと以前よりも有り難味が増して、女子の多い学校の空気を寝不足でなく、味わうことがいかに恵まれているか実感することとなる。
 しかしながら年齢的にも女体を求める欲求は周期的に襲っており、外向的でない私はどうやってこの欲求を処理するか、暇になった頭でまた考えるようになる。結果、金を稼いだとはいえ、風俗なぞ行く勇気は当然無く、やはりだらだらと煩悩を自身で汚し、暇でどうかしそうな状況に退行するのであった。