労働と育児

労働はコロナ禍であろうが酷暑の現場仕事で当然、きつい。常に労働中は退職の契機となるべきものを探している。宝くじを購入しているが、高額当選すれば労働を回避できるからこそ買っている。
日中は熱くてとにかく不快だ。だが定時の夕方ごろに帰社すると少しは暑さが和らぎ、若干の充足が訪れることで、もう少し休みと給料が増えれば悪くないのでは、と思い、次の休日までの労働を受け入れる決心をしてしまう。時間を味わずに丸のみする感覚。そして翌日日中、またしても退職の契機を探しだしている、そんなサイクル。

そしてようやく休日に入れば一日中、育児に追われる。イヤイヤ期の二歳児は手に終えないほど暴れる。
当然、自分のやりたいことなどできない。髪を切りに行くのも、本を読むことも不可能だ。食べ物も素うどんを流し込むように食べていたりする。
ようやく休日の育児を終えたらまた労働に駆られる。この繰り返しだ。

このサイクルでストレスが凄まじいことになる。日頃、不安定になりがちな精神状態を暴発させないように私は精神状態を静かなうつ状態に持っていっている。
絶望を感じない代わりに希望も感じない。他人にも家族にも自分にも一切期待しない。
うつらうつらと過ごし、時間や曜日感覚がぼやけだしている。欲求を眠らせることであらゆる感覚までもマヒしている。
死ぬ契機を探さない代わりに生きる契機も探すことができない日常だ。