劣等感とは必要なものである

劣等感を無くす意識を持とうとしていたのだが、最近、どうもそれも違うような気がしてきた。
劣等感がない人間というのは向上心のない人間に直結するではないか、そう思った。現状に満足して向上心がないと人間は腐り果ててしまう気がするのだ。そんなことで腐り果ててしまう仕組みの世の中の方がどうかと思うが、世の中に従うしか生きる術はないのだ。向上心を持たなければ人間と認められない、劣等感を持たなければ人間と認められない、端的にいえばそういうことだ。
私は無くす意識を持っていたと述べたが、いつでもどこでも劣等感を持っている。
たとえば街を自転車で漕いでいると性欲の吹き溜まりみたいな高校生と遭遇する。彼らは彼らなりに苦しいこともある人生なのだろうが、私にはそう思えない。つまり私と比べると非常に容易い人生を送っているのではないか、そういう妄想に駆られる。
はしたないことや大人びたことを考える存在、そういう存在が年下にいることに対して恐怖を覚えることがある。
彼らには心の捌け口となるような友人が大勢おり、夢がある。私には捌け口となる人間はいない。そして夢がない。そう思い込み、恐怖する。なぜなのかは分からないが、道中で性欲の吹き溜まりみたいな高校生と遭遇するたびにそれらの恐怖してしまう潜在意識がはたらく。
こんなことは苦悩のごくごく一部に過ぎない。