憂メイト5日目終了

無感情で単純区分作業をやってきた。無感情でやることによる苦しみの回避。若干の悟りを開いたような気がする。だが、すぐ閉じる気もする。楽しいとか嬉しいとか悲しいとかつまらないとかくだらないとかそんな感情は全てシャットアウト。俺は頭の中から行動まで全てただの葉書運びロボットになった。接客業に比べて唯一の良い点は単純作業は人に気を遣わなくていいってこと。ひたすら無感情でいても文句をいわれない。もうこの際、普段から無感情でいようか。
今日は帰りに牛丼屋によろうとしたら若者の客が一杯入ってたので行かなかった。うぜえなあ大人数でぞろぞろと。あいつらさ、腹減らすんじゃねえよ。
つうかさ、百姓至上主義の世の中にしないとだめだよな。どんな政治家だろうがルパンみたいな悪党だろうが皆、食料を食べるんだから世界中の民が百姓を神のように思わないとダメだと思うわけだ。大体な、ご飯などといった食料全般のことを「めし」って言う奴は食料のことを馬鹿にしてんじゃねぇのか。なんだよ、「めし」って。俺としてはこの単語はダメだ。「めし」という単語がどうにも野武士のような荒々しいイメージがして、武士もいない平成の人間が「めし」って言うと高貴性の欠片も無い陳腐な感じがしてやりきれない思いが募る。だから俺は食事のことを「めし」といわない。なんつうか飽食社会馬鹿野郎だな。